オルタナティブ・ブログ > 生涯ITエンジニアでいこう。 >

どんどん出てくるIT業界の新トレンドを乗りこなし末長くエンジニアをやっていきましょう。

AI人材はインドにいる、でも足りないのは『翻訳する人』――日本企業とAIの間に生まれる新しい仕事

»

1. はじめに:パズルのピースが一枚足りない

オフショア開発の現場で、こんな会話を聞いたことはないでしょうか。

「仕様書どおりに作りました」 「いや、そういう意味じゃないんだけど......」

仕様書には書いていない。 でも、日本の現場では「言わなくても分かる」ことになっている。

このすれ違いは、AIの時代になっても消えていません。 むしろ、相手がAIになったことで、もっとはっきり見えるようになった気がします。

ここ数か月、このブログでは3本の記事を書いてきました。

  • インドの若手エンジニアの90%以上が「AIネイティブ、またはAIに精通」(8月)
  • インドIT企業のトレンド:ODCからGCC、そしてBOTへ(9月)
  • AIで仕事はなくなるのか? 160年の歴史と経済学が教える「本当の未来」(10月)

並べてみると、話はつながっているようで、どこか一枚ピースが足りない。

「日本はAI人材が少ない。だからインドに頼ろう」

これは間違いではありません。 でも、それだけで日本企業の業務がAIで変わり、イノベーションにつながるのか――。

その「間」に、人がいるような気がするのです。日本企業の業務を、AIやインドのチームが扱える形に「翻訳する人」が。

今回は、その足りない一枚について考えてみます。 空想かもしれません。思い込みかもしれません。 それでも書いておきたいと思いました。

足りないのは、AIでもインドの人材でもなく、その間で業務を「翻訳する人」ではないか。

2. 3本の記事を並べると、空白が見えてくる

3本の記事が語っていたことを、表にしてみます。

記事

語っていること

視点

8月:インドの若手の90%以上がAIネイティブ/精通

AIを使える人材は、インドにいる

供給

9月:ODC → GCC → BOT

その人材を使うための「器」が進化している

器

10月:AIで仕事はなくなるのか?

AIは仕事(Job)ではなくタスク(Task)を置き換える

仕事の変わり方

(まだ書いていない)

日本企業の業務そのもの

需要側

供給はある。 器もある。 仕事が組み替わることも、歴史が教えてくれている。

でも、「日本企業の側」がどうなっているのかについては、まだ書いていませんでした。

インドのAI人材が、どれだけ優秀でも。 BOTのような仕組みが、どれだけ整っていても。 受け取る側の業務がAIに渡せる形になっていなければ、何も始まりません。

空白は「需要側」――日本企業の業務そのものにあった。

3. ボトルネックは「人の数」ではなく「業務の言語化」

日本の業務は、暗黙知で回っています。

「この取引先には、まず電話してからメール」 「この数字は、部長が見る前に一度丸めておく」 「例外は、ベテランの○○さんに聞けば分かる」

どこにも書いていない。 でも、それで回ってきた。

ここが問題です。

AIに渡せるのは、言葉になった業務だけです。 インドのチームに渡せるのも、言葉になった業務だけです。

つまり、AIもオフショアも、同じ壁にぶつかります。

もう一つ、構造的な事情もあります。 IPAの調査では、日本のIT人材の約74%がIT企業(ベンダー)側に所属していて、ユーザー企業側は約26%にとどまります。米国はほぼ逆で、約65%がユーザー企業側にいます(ASCII.jpによるIPA「DX白書2023」の紹介)。

業務を知っている人と、ITを知っている人が、日本では別の会社にいる。 これまでは、その間をSIerが埋めてきました。

でも、AIの時代に必要なのは「仕様書を受け取って作る人」ではありません。 仕様書になる前の業務を、言葉にできる人です。

足りないのはAI人材の数ではなく、業務を「翻訳」する力――。

4. 「翻訳する人」は、何をするのか

面白いことに、この「翻訳する人」が必要な理由は、これまでの3本の記事の中にすでに書いてありました。

8月の記事から:検証の基準は日本側にある

インドの若手エンジニアは「ゼロから作る人」から「AIの成果物を検証・編集する人」へと役割が変わりつつある、と書きました。

でも、ちょっと考えてみてください。

「このAIの出力は、業務的に正しいのか?」

その判定基準は、日本の現場にあります。 検証のループは、国境をまたいでいるのです。

しかも、本当の意味でAIネイティブと言える層は約23%。 Nasscom自身が「AIに依存した労働力」になるリスクを指摘していました。 AIらしい「もっともらしい間違い」を見抜く人が、どこかに必要です。

9月の記事から:「Transform」を受け止める人がいない

BOTT(Build-Operate-Transform-Transfer)は、AI活用やプロセス変革まで済ませてから移管するモデルでした。

ここに一つ、隠れた前提があります。 変革を受け取る側に、それを理解して回し続けられる人がいること。

欧米企業がGCCを使いこなせるのは、本社側に「業務が分かって、ITの言葉でも話せる人」がいるからです。 日本企業に同じことができるかというと......前の章の数字を思い出すと、正直ちょっと心配です。

10月の記事から:タスクに分解するのは誰か

AIが置き換えるのは仕事(Job)ではなくタスク(Task)だ、と書きました。

では、実際の業務を誰がタスクに分解するのでしょうか。

  • どのタスクをAIに任せるか
  • どのタスクをインドのチームに渡すか
  • どのタスクを日本に残すか
  • そして、どのタスクにはAIを使わないか

最後の一つは、9月に書いた「使わない判断」の話そのものです。

まとめると

翻訳する人の役割

中身

つながる過去記事

業務の言語化

暗黙知を、AIやオフショアに渡せる形にする

今回

タスク分解と振り分け

AI/インド/日本/使わない、に仕分ける

10月、9月「使わない判断」

検証の橋渡し

出力が業務的に正しいかを判定し、フィードバックを返す

8月

変革の受け手

BOTTで移管された仕組みを、日本側で回し続ける

9月

データとガバナンス

何を外に出してよいかを決め、シャドーAIを防ぐ

9月「シャドーAI」

ここで言う「翻訳」は、言葉の置き換えではない。業務とAIの両方を分かったうえで、仕事を組み立て直すこと

5. 実は、もう名前がつき始めている

「空想かもしれない」と書きました。 でも調べてみると、似た役割にはすでに名前がつき始めています。

呼び名

出自

つなぐもの

特徴

ブリッジSE

日本のオフショア開発

日本の発注側 ↔ 海外の開発チーム

言葉と商習慣の通訳が中心

Analytics Translator

McKinsey(2018年)

現場の業務 ↔ データサイエンティスト

最も重要なスキルは業務知識

Forward Deployed Engineer(FDE)

Palantirが始め、AI企業に広がる

AI製品 ↔ 顧客の業務の現場

顧客の中に入り込んで実装する

特に印象的なのは、McKinseyが2018年に書いていたことです。

この役割に一番必要なのは業務知識であり、外から採用した人には会社への深い理解が足りない。 だから、既存の社員を育てるのが一番の近道だ――と。

FDEについては、LinkedInの2026年1月の労働市場レポートで、2023年から2025年にかけて求人が42倍に増えたと報じられています。AIエンジニア職の13倍を大きく上回る伸びです。 インドでもFDEの求人が1年で130%増えたという調査が出ています(CIEL HR)。

AIを売る側も、「製品だけでは顧客の業務は変わらない」と気づき始めているのです。

ブリッジSEが「言葉」の通訳だったとすれば、 これから必要なのは「業務」をAIが扱える形にする翻訳――。

「翻訳する人」は空想ではなく、世界ではすでに職種になりつつある。日本ではまだ名前がないだけ。

6. 明日からできること

「翻訳する人」には、肩書きを待っていてもなれません。 小さく始められることを挙げてみます。

業務側の人なら

  • 自分の業務を一つ選び、「新人に渡す手順書」をAIと一緒に書いてみる。書けなかった部分が、暗黙知のありかです
  • その手順書をタスクに分け、「AI/人/使わない」の3色で塗り分けてみる

エンジニア側の人なら

  • AIの出力を見るとき、「技術的に正しいか」だけでなく「業務的に正しいか」を誰に聞けば分かるかを書き出してみる
  • 現場の人と30分だけ話し、「一番面倒な作業は何か」を聞いてみる

オフショア・GCCに関わる人なら

  • 受け渡している仕様書のうち、「背景」や「なぜ」が書かれていない箇所に印をつけてみる
  • BOT/BOTTを検討しているなら、「移管後、日本側で誰がこれを回すのか」を最初に決めておく

翻訳する人の第一歩は、自分の業務を言葉にしてみること

7. 残る課題:この人を、誰が育てるのか

ここまで書いて、一つ引っかかることがあります。

翻訳する人には、業務経験とAIの理解の両方が必要です。 ということは、今の時点ではベテランに有利な仕事です。

「生涯ITエンジニア」を掲げるこのブログとしては、ちょっと嬉しい話ではあります。

でも、10月の記事で紹介したスタンフォード大学の研究を思い出してください。 AIの影響を受けやすい職種で、22〜25歳の若手の雇用が相対的に約13%減っていました。

若手が業務を覚える「入り口の仕事」が、AIに置き換わり始めている。 そうなると、10年後の翻訳する人は、どこで業務を覚えるのでしょうか。

今のベテランが翻訳する人になれるのは、若い頃に現場の泥臭い仕事を経験してきたからです。 その経験の場がなくなれば、翻訳する人は一世代で途切れてしまうかもしれません。

もしかすると、ここにもインドとの協業の可能性があるのかもしれません。 日本のベテランが業務を言葉にし、インドの若手がAIで形にし、その過程で日本の若手が両方を学ぶ......。 そんな三者の組み方も、空想してみたくなります。

翻訳する人を「育てる仕組み」まで考えないと、この話は一代限りで終わってしまう。

8. 結論:山の向こう側の仕事に、名前をつける

3本の記事を並べて、足りなかった一枚のピースはこれでした。

  • インドには、AIを使える人材がいる(供給)
  • それを使うための器も、進化している(器)
  • AIは仕事ではなく、タスクを組み替える(仕事の変わり方)
  • でも、日本企業の業務はまだ言葉になっていない(需要側)

その間に立って、 業務を言葉にし、 タスクに分け、 AIとインドと日本に振り分け、 出力を業務の目で確かめ、 変革を受け止めて回し続ける人。

10月の記事で、1899年に「モーテルの受付係」を想像できた人はいなかった、と書きました。

もしかすると、この「翻訳する人」も、まだ名前のついていない山の向こう側の仕事なのかもしれません。

空想かもしれない。思い込みかもしれない。 でも、最初に山を越えて名前をつけるのは、いつも好奇心に動かされた人でした。

あなたの職場では、AIと業務の間で「翻訳」をしているのは誰でしょうか? そして――それは、あなた自身かもしれません。


出典・参考

Comment(0)