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グリーフケア(悲嘆ケア)講座に通い始めました。

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5月から上智大学グリーフケア研究所主催の「グリーフケア講座」に通い始めました。週1回、10回講座です。

上智大学にグリーフケア研究所というものがあり、悲嘆について研究したり、悲嘆ケアの専門家を育てたりしているそうです。昨年の大震災に関連し、所長の高木慶子(よしこ)氏がメディアにたびたび登場していたのを目にし、興味を持っていたところ、社会人講座の一環として今季開講するというアナウンスがあったので、それっと申し込みました。

(実は、1999年からずっと通っている組織行動論の講座が今年1年開講されないこととなり、同じ木曜日にグリーフケア講座を見つけたので、タイミングとしてもベストだったのです。組織行動論の教授はこの1年、サバティカルで休講なのです。※サバティカル:大学教員の7年に一度の研究休息の仕組み・・・といえばいいのでしょうか。)

さて、5/10(木)、初回授業は、「悲嘆の実態」でした。講師は、高木慶子所長(シスターでもあります)。

悲嘆とは何か。

親しい人や者を喪失した時に体験する複雑な心理的、身体的社会的反応。それによって、人間関係や自身の心身に多大な影響を与えるのだそうです。悲嘆というのは、ものすごく強いエネルギーを持っているので、それで心だけでなく、身体にも大きなダメージを与えると。

悲嘆の誘因となる喪失体験には、以下が挙げられます。

・愛する家族・友人などの喪失(死別、離別)
・所有物の喪失
・環境の喪失(転居、天候、故郷との別れなど)
・役割の喪失(家族内の役割、子どもの自立、定年退職など)
・自尊心の喪失(名誉の剥奪、悪口にさらされるなど)
・社会生活の安全、安心の喪失

・・・

悲嘆によって現れる身体症状として、様々な例(じんましん、目のかすみ、動悸、耳鳴り、など)が挙げられていましたが、興味深かったのは、「全身のかゆみ」というもの。

(あ、これ経験ある!と思い出しました。離婚届を出した直後に下半身がかゆくてかゆくて仕方なくなり、何日も続くので、皮膚科に行ったら、「最近、身辺で何か大きな変化ありましたか?」と言われりして、ああ、あれは、悲嘆だったのか、と今頃納得。これは、環境、役割、社会生活の安心の喪失あたりが影響していたのでしょうね。ふむ。)

で、どうして「グリーフ(悲嘆)ケア」の知識やスキルを伝授する教育が必要になってきたか。まだ社会が密度濃くつながっていた時は、何かの喪失体験を自然に癒す仕組みがあった、というのですね。たとえば、家族が大勢いたから、誰かをなくしても、周囲との関係の中で徐々にケアされていく。 でも、今は、核家族化も進み、身内だけでケアしきれない場合がある。

さらに、誰もが高いストレスにさらされている状況において、「本当に優しくしてあげなければならない相手」に、優しくする余裕がなくなってきている。

だから、きちんと学習しておく必要があるというのです。なるほど。

この講座は、様々なグリーフがある中で、「家族を亡くす」ことに焦点を当てるそうです。今後は輪講形式で進みます。登壇する先生もテーマもバリエーションに富み、今からとても楽しみです。

聖路加の日野原重明氏も登場。 画家の葉祥明氏、ジャーナリストの柳田邦男氏、その他、神父さま、ドクターなど。

髙木先生からは、冒頭でこんなお話しがありました。

「決して楽しい話ではありません。つらいつらい話がたくさん出てきます。 もし、気分が悪くなったり、ダメだと思ったら遠慮なく教室から出て行っていいんですよ。気持ちが落ち着いたら戻ってきてもいいし、そのままお帰りになってもいいし。無理しないでください。」

こんな話もありました。

「人は、「おくられ人」になる前にたいてい「おくり人」になる。たいていの人は、「おくり人」の体験をして、最後が「おくられ人」になる。そういう意味では、誰もが悲嘆者として生活しながら生きていくことになる。」

ほんとにそうですね。

教室は、大講堂で300人定員いっぱいの申し込みがあったそうです。私は前に座ったので、終わるまで気づきませんでしたが、帰る際観察したら、8割以上が中高年女性でした。熱気むんむんの教室です。


そういえば、多少脱線気味に話されたことでそうだなあ、と思ったのは、このお話。

「毎日のように、”今日にでも大地震がある”かのように報道され、何千人が死ぬ、どれだけの家が壊れる、とシミュレーションされた情報を目の当たりにしている私たちは、その恐怖や不安を抱えているのに、そう言いつつ、日々の生活もあるから、”考えないように、考えないように、まるでそれを知らないかのように”生きている。”もう危ないかも、という報道で受けるストレス”、”それを知らないかのように無視して生きるストレス”、そういう二重構造になっている」といったこと。

本当に、本当にそうです。

生きるというのは、大変なことだ、とあらためて実感しました。

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