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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

都立国立高校でお世話になった弥生先生の訃報

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都立国立高校の出身です。 昭和55年、あの「都立高校としての初の甲子園出場」を果たした学年です。同級生に市川くん、川端くんなどがいました。クラスの担任は野球部の監督でした。

この出来事があるまでは、「都立」なのに「コクリツ」だってよぉー、と、スキー合宿などで、大人(大学生など)にからかわれていたのですが、甲子園以来、世間に「クニタチ」という名前が広く知られるようになりました。(あ、もちろん、山口百恵さんのおかげもあります。ちなみに「立川」と「国分寺」の間だから「国立」なんです)

その国立高校の歴史と共に、という感じで教べんをとられていた弥生先生(体育の先生でした)の訃報が、同窓会誌に掲載されていました。

そうかあ・・・。そうかあ・・・。おそらく90歳近いご年齢ではないかと思いますが、・・・そうかあ・・・。いろいろなことを思い出しました。

弥生先生は、「あたしは教育とケッコンしたの!」とおっしゃるほど体育教育に熱心な方で、とにかく怖かったんです。

特に、「創作ダンス」というのがお好きで、チームを組ませ、自分たちで音楽、衣装、振り付けを考え、何度も練習し、発表する、というのが一大イベントでした。体育館に響く大声で叱咤され、とにかくもう苦痛で苦痛で仕方がありませんでした。今でも、国高出身の方とお話しすると、女性は「ああ、創作ダンスね!」と話が合うというくらい、伝説のイベントでした。

弥生先生の最初の出会いは、入学式直後の朝礼のことでした。

前日、部活部屋が入っていたプレハブのような建物でボヤが出て、新聞にも載ってしまいました。幸い、大事には至らなかったのですが、原因が「タバコの火の不始末」。 高校で、です。

弥生先生は、校庭に集まった全校生徒に向かって、マイクの音が割れんばかりの勢いでこうおっしゃいました。

「タバコを吸ったら、ちゃんと最後まで火を消しなさいっ!」・・・・

ザワっ、ザワっ・・・・ザワっ・・・。 そこ? え? そこ? そこなの?  高校生なのに、そこ?

この衝撃的な発言が、高校生活の幕開けを飾ったのでした。

昭和53年(1978年)ののどかな春。  今そんな発言をしたら、ボヤ以上のトンデモない大事件に発展していたはず。

私より20歳以上年長の方から10歳以上下の世代まで、幅広く、多くの同窓生が弥生先生を知っていると思います。(昭和28年から昭和61年まで在籍なさったそうです)

同窓会誌「たちばな」が届いていない方、読んでいない方もいるやもしれません。今朝、Facebookでぼそっとつぶやいただけでも数件反応がありました。 

弥生先生、たくさんの思い出をありがとうございました。

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