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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「やはり、”ゆとり世代”だからなんですかね?」という言い方

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人事部や人材開発部の方、あるいは、現場の管理職、リーダーの方から、こんな風に訊かれることがあります。

「新人に●●をさせようと思うのだが、どうも、自分が期待したように動かない。すぐあきらめちゃうし。貪欲さもかけている」
「若手に××の指示をしたら、言ったことはするんだけど、それ以上の工夫をするわけでもない。細かく言わないと動かない」

・・・・ こう言った後に、「やはり、”ゆとり世代”だからなんですかね?」と。

「若手がなっていない!」と年長者が思うのはいつの時代でも同じだし、そう言っている本人ももっと上の世代から見れば、「なっとらん」と思われているに違いありません。シニア世代からは、「わしが若かった頃は、管理職といえば、・・・・」などと思われていたりするものです。(「わし」と言うかどうかは別として)

ただ、若手が自分の期待通りではない、ということを即「ゆとり世代だからですかね?」と言っちゃうの、あまり好きじゃないんですよねぇ。

電話の掛け方がなっていない。
メールの文章がケイタイメールみたいだ。あるいは、Twitterみたいだ。
社会人の基本以前に、「常識」レベルができていない。

・・・・・こうやって、いくらでも言えますが、そんなこたあ、教えてやればいいわけで。時代時代で「常識」なんて違うわけですし。

上司世代だって、前世代の常識を踏襲はしていないと思うのです。

3年ほど前のことですが、ある企業の新入社員研修の一部を担当したことがありました。

休み時間に新入社員と会話をしていると、ふと机に置いてあるコピーが目に留まりました。

「それ、なんですか?」
「あ、これ、入社式の時、全員に配られたんです。社長から」

見れば、「ゆとり世代をどうやってうまく働かせるか」といった内容の週刊誌記事でした。

「これ、配布した社長からはなんと言われたのですか?」
「『世間の人々は、皆さんのことをこういう目で見ている。こういう評価を覆すよう、一生懸命がんばれ』と言われました」

彼女たちは、「私たちは、周囲からこんな風に思われているんですねぇ」と苦笑していました。

自分だって、「新人類」だのなんだの言われて、けっ!と思ったであろう中高年がまた、同じように「ゆとり世代」とレッテルを貼る。なんだかなぁ・・・。

今年入社した学卒の新入社員は、1989年~1990年生まれです。

誕生まもなくバブルはじけて、幼い時、阪神大震災やらサリン事件が起こり、その頃から、PCだのインターネットだのケイタイなどのモバイルだのに取り囲まれはじめ、コミュニケーションのツール自体がどんどん変わり、景気も今一つの状態が続き、大学に入ったころにはリーマンショックやら新型インフルエンザだとか、そして、入社直前に3.11と原発です。

実際にはさほど「ゆとり」があった世代とは思えないのです。劇的な環境変化に翻弄された世代なのではないのかしらん?

私は1963年生まれで、社会に出たのが1986年です。親の生活はどんどんよくなっていくこと、世の中は便利になる一方であることを体験しました。今年の新入社員がこの20数年で味わったような社会の変化はほとんど体験せず、のほほ~んと社会人になったくちです。5年くらい仕事したら、結婚、出産、退職・・・・とぼんやり考えたりしてしました。(同期が全員そうだったわけではありません)

今の若手のほうがよほど、真剣にキャリアを考えているような気すらします。将来どういう風に働いていたいか、も、言葉にできる人が案外多い。(それが実現するかどうかは別として)生活についても足元がしっかりしている人が多いように思います。家計簿つけたり、お弁当作って節約したり。

先日、ある新入社員が言っていた言葉は印象的でした。

「就職氷河期なのも、震災や原発問題も全部自分たちのせいではないし、自分たちではどうしようもないことです。そんな時に社会人になるのを”大変だね”と言われたりするけれど、そういう時代に生まれ育ったことは、選べないことだし、運命として受け入れて、その中でも自分ができることを精いっぱいやっていくしかないと思っています。今はまず新入社員研修の内容をしっかりマスターすることが自分のすべきことだと思います。とにかく、頑張ってやっていきます」

少し先行く先輩である私たちにできることは、「ゆとりだからですかね」と評論するのではなく、若手が学び成長できる場を作ったり、成長を支援したりすることなんじゃないかなーと思うのです。

いや、実際、新入社員って面白いですよ。会話していると、いろんなことを考えていて、こちらも学ぶこと、気づくことが多々あります。真剣に向き合えば、相手が自分の娘・息子ほどの年齢であっても、得られることはたくさんあるものです。

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