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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

旅行にでて判る自分が本当に必要としているモノの種類と量、っていうのをキチンと見つめてみる

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家の中を見渡すと、なんだかモノが一杯あります。一人暮らしではないので全部が全部自分のモノではありませんが、やっぱりそれなりに私のモノがあります。

でも全部必要なのかって?いや、多分全部必要とは自分でも思っていないんですけどね。

 

なんとなく「そのうち必要になるかも」というモノが必要になった試しが無いという情けなさ

これ、多分色んな方にある程度は共通してるんじゃないかと思います。これ、捨てたり誰かにあげるのはもったいないし、きっとそのうち必要になるだろうしってモノって、大抵仕舞ったら最後、多分次にお目にかかるのは棄てるとき。少なくともワタシの場合にはそういうのが結構あります。

ただ、これについては昨年あたりから心を入れ替えてどんどん処分するようにしています。この手のモノって実は始末が悪いことに、なんとなくキモチのどこかで持ってるのを覚えている。でも必要な場面がやってこない。で、もうこれはいらないよねと棄てた翌日とか翌週とかに「あ”~、捨てちゃってた~」と必要な場面に遭遇して悔しいがったり残念がったり。

でも、これ、大抵の場合棄てるまで数年間は寝かせたまま。だったら、必要な時にもう一度入手する方向で努力すればいいし、入手出来ないモノを必要とする羽目に陥る自分が悪い。

未練を残さず、当座必要性が無いモノについては未練を残さず棄てよう。

そんな風に強く思い始めています。

 

なんとなく「これは棄てられないな」というモノが何かの役に立った試しが殆ど無いという情けなさ

もちろん非常に趣味性が高いモノ、どうしてもこれは手元に置いておきたいモノってのはあります。でも、大抵の場合、そのものが無くても良いんです。私の場合。もちろん色んな経緯で苦労して手に入ったモノってあったりしますが、それが必要だった状況が過ぎれば誰かに譲るなり棄てるなり、きっと自分の目の前から消えてしまった方が、多分精神衛生上良い事が多いんじゃないかと、最近本当に思うようになりました。

もちろん単なるゴミであれば捨てるしかないですが、そうでないモノであれば他の誰かが必要としているかもしれない。ならば、譲ろう。自分が持ってても(少なくとも当座は)何の役にも立たない。

未練を残さず、当座必要性が無いモノについては未練を残さず誰かに譲ろう。

そんな風に強く思い始めています。

 

ちなみに旅行に出てみると、自分が必要とするモノと物量について結構真剣に考える訳で

どんな旅行であっても普通の旅行であれば家財道具一式と共に移動することは不可能です。だから鞄に詰め込めるだけの必要なモノを選ぶ訳ですが、鞄の大きさを基準にしてしまうと、実は必要と思えるモノは増えちゃうわけです。

で、まぁこれは良く言う話ですが、必要なモノをとりあえず最初に床にでも全部並べて、それを鞄に詰め込んだら後から絶対に思い直さない。

「寒そうだからセーターを一枚増やそう」
「歯ブラシをもう一本」
「靴ってもう一足あった方が便利かも」

大抵そういう便利さへの期待は荷物を増やす効果しか無いというのが私の経験です。ちなみに以前頻繁に海外出張に出ていた頃の自分の荷造りの手際良さは、自分でも惚れ惚れするほどでした。さすがに最近は出張が減ったお陰で手際が悪くなりましたし、家族の荷物ってのはまた別のインテンションが働くので単純に絞れないのが難しい。

でも、本当に必要な荷物って、実はそんなに多くない。もちろん、それが財産の全てであるとすると、それは色んな意味でちょっと辛い生活ですが、本当に必要なモノ+αって所の頃合いを見る意味で、時々旅行に出る、そのための荷物を作るってのは結構良いチャンスではないかと言う気はします。

 

未練を残さず、当座必要なモノだけを選ぼう。

棄てると言う意識の前に何が必要?って考えると、実は見え方が変わってくるよねっていう風に強く思い始めています。

ちなみに荷物をぜんぶ自分で背負うのが原則という世界に一度でも身を置くと、荷造りの考え方ってのは激変するのですが、これはちょいとハードルが高いかも知れませんね。でも、そこまで一度考えるってのも一興とは思いますが。

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