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夏目房之介の「で?」

新美ぬゑの仕事と漫画史像の再構築

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新美ぬゑの仕事と漫画史像の再構築 夏目房之介

新美ぬゑ『「漫画」と云ふ雑誌の研究 暫定版』夜烏文庫 202353

 本書は新美ぬゑによる雑誌「漫画」の資料集(目録)同人誌で、しかも暫定版である。「漫画」は新美の解説にあるように、①東京漫画会版(1917年 全10号)、②日本漫画家連盟版(1926年 全2号)、③新日本漫画家協会版(194051年 全113号)の3種あり、それぞれ時代を反映した集団によって刊行され、人的な重複も一部あるが性格は異なる。

本書は③についてのデータ集で、なぜ「暫定版」かといえば昭和201月号だけ未発見だからだ。見つかればカラー版で「完全版」を出す予定だという。経緯などについては以下URLに新美自身が書いている。現時点ですでに売り切れ状態だという。

『漫画』と云ふ雜誌の硏究 [暫定版]について|夜鳥文庫 (note.com)

 本書には新美による「はじめに」「『漫画』と云ふ雑誌の変遷」という二つの文章が冒頭にある。「はじめに」に、資料集刊行の意図が簡潔に書かれている。

 〈これまでも[③「漫画」誌は]漫画家が戦争遂行のプロパガンダに加担していたという分かりやすい事例として、言及や批判の対象とされることも多く、その内容を検討する研究も多数行われている。しかし、従来の研究や紹介は戦中期に偏重しており、それも特定の要素に注目したものがほとんどであった。そもそも『漫画』がどういった雑誌で、誰が何を描いていて、何冊刊行されたのかという、基礎的な情報を提示した資料は乏しい。〉本書P.2 [ ]内は引用者注。

 実際、石子順造の著書などで、私達は戦時プロパガンダの事例としての「漫画」誌を知ったし、近藤日出造批判を読み、漫画批評言説もそれを踏襲してきた。

 おそらく今回初めて、この雑誌の詳細な刊行経緯や刊行集団の相互関係、歴史的な文脈についての詳細を知ることになった。①は岡本一平など、大正初め頃の若手の集団が立ち上げたもので、「ポンチ」ではなく「漫画」という呼称の普及も担った雑誌のようだ。しかし、②、③との連続性は薄い。②は下川凹天らを中心に大正15年に創刊、やや左翼的な傾向もあり、当局の干渉もあって短期で終わっている。

 昭和7(1937)年に、当時の若手の仕事獲得を目指した互助組織(一種の組合運動)として「新漫画派集団」が結成され、やがて彼らが戦前漫画の主流派となっていく。杉浦幸雄、近藤日出造、横山隆一らを中心とした彼らが、昭和151940)年に③の「漫画」を

創刊するのだが、加藤悦郎らの反撥や追放劇があり、最終的には近藤日出造が編集の中心になる。その間、「翼賛会宣伝部推薦」雑誌となり、国策協力の傾向を強めてゆく。日中戦争(193745年)、ファシズムの影響を受けた近衛文麿の「新体制運動」(1940年)などの渦中で、時流に乗ったといえる。業界への締め付け、紙の割り当てなども背景にあって、漫画家たちの戦後の主観では「やむを得なかった」ということになるが、実際は国民全体でこの時流に乗っての盛り上がりに同調し呑まれた側面が大きいのではないかと思う。

 こうした経緯を知ると、そこには漫画家たちの集団相互の競争関係、相互対立と同時に協力や合体の流れが、「漫画」誌成立の背景にあったことが推測される。しかし、「漫画」誌が黒字化していったのは太平洋戦争(1941(昭和16)年)勃発からだった(本書P.7)というのは面白い。「漫画」誌と「新漫画派集団」(戦後、「漫画集団」と改名)は戦後も続き、「漫画集団」は1960年代まで主流派であり続けた。近藤はそこでいわば漫画界のボス的な地位を獲得していた。

 ここで注目したいのは、これまでの漫画史概念では看過されてきた、戦前戦中から戦後への漫画史の連続性の一つの側面を、新美の仕事に見て取ることができる、ということだ。これまでの漫画史概念では、戦前戦中までの漫画と戦後漫画の間には、手塚漫画による革新という側面を挟んで、国策漫画から戦後子供漫画へと飛躍し、戦中、戦後の間に断絶があった。しかし、この背景にはそもそも日本史の概念そのものが、戦前戦中と戦後で断絶しており、そこに様々な連続性があったことを看過し、日本人自身が忘れ去っていたという事情があったように私には思われる。典型的には明治から敗戦までを「日本近代史」とし、戦後を「現代史」と呼ぶ習慣があることも、その一側面ではないだろうか。

 たとえば戦時の経済統制により、様々な業界が一つに統一され、出版流通も一社に統合された(日本出版配給会社 1941年)。戦後GHQによって分割されたが、その後の2大流通制にも、統合時の中央集権的な制度は残り、世界的にもまれな、高度に効率化された出版流通を実現している。このことが、のちに「週刊少年ジャンプ」600万部を実現したとさえいえるかもしれない。そう考えると、戦時からの連続性は、戦後漫画の市場拡大にも寄与してきたと考えうるのではないか。

 それを評価せよといいたのではない。現在の漫画史概念、歴史意識の更新を進め、漫画史の再構築を試み、これまで見えてこなかったものを見出す必要があると主張したいのである。これは、日本漫画を「伝統を継承した固有の文化である」としてきたクールジャパン的な歴史像を覆し、そもそも日本漫画も海外漫画の影響から生まれた近代の産物であるという側面を解明してゆくことにもつながる。

 こうした試みはすでに宮本大人などによって試みられてきたが、新美の試みはその一つでもありうる。最近の仕事では、川勝徳重「夢と重力 ナカムラ・マンガライブラリーの軌跡19331945」第1回(「まんだらけZENBUNo.116 2023年)での、大城のぼるの「奥行」についての分析や、細馬宏通『フキダシ論 マンガの声と身体』(青土社 2023年)におけるコマとフキダシの連携による「読み」の推進力についての分析なども、戦前からの表現史的連続性を意識して書かれている。

海外漫画との関係では、小田切博の指摘や、アイケ・エクスナ氏の研究及び日本マンガ学会歴史学習部会会誌「FLiP1号(2023年)掲載のエクスナ氏を囲む議論「マンガ史の書かれ方×見つめ方」も、漫画史像の再検討という文脈で行われている。

 ただ問題は、こうした問題意識は今の一般読者にはなかなか届かない。一般読者にとっては、これまで習慣的に受け入れて来た漫画史概念を再検討する必要など感じないし、そんなことは意識しなくても漫画を読むことはできるからだ。じつは、知識層や研究者による漫画論の尖端的な問題意識と、一般読者の間には、現在深い断絶がある。この断絶にどうやって橋を架けられるかが、私などにとっては、じつは大きな問題なのである。

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