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グローバル化の時代欧米人と対等に音楽の話ができるようになりたい オペラは、官能であり遊びであり無駄に満ちた芸術:日本で海外のオペラを上演できるオペラ劇場がない理由

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バブルの絶頂期、ドイツのデュッセルドルフやフランクフルトを中心に、日本の商社やエレクトロニクス、自動車会社などがヨーロッパに満ち溢れ、企業を買収し、工場を建設し、ゴルフ場買収したり建設したり、70年代のアラブ、オイル・マネーが買った物件は日本の資本が買い求め、観光客の数や消費量は日本が一位、日本が持っていないものはない、とまで言われていた時代がかつてありました。
 
そんな時代、イタリアの中小企業の経営者などを相手に食事をするような場面があったとします。
石井宏さんの著書「帝王から音楽マフィアまで」に興味深い内容がありましたのでご紹介します。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・
 
音楽の話になったりすると、頭の高い商社マンもこれにはたじたじとならざる得ない。音楽といえばカラオケしか知らないからだ。そこへ止めの一撃がさりげなく降ってくる。
「ところで、日本にはオペラハウスはいくつおありですかな」ゼロなのである。
相手はにわかには信じない。今日も何系のホテル・チェーンが日本に買収された。どこそこに工場が建ったと、ヨーロッパでは空中を円の札束が飛び交い、札束が人々の頬を引っぱたいているというのに、日本にはオペラハウスが一つもないなんて信じられるか。
「ご冗談がお上手ですな。」(中略)
日本の夜は、働いているか、酔っ払っているか、テレビを見ているかのどれかで、およそ文化にはほど遠い。
「ほんとうにオペラハウスはゼロで、劇場もほとんどないのですか?」
ヨーロッパへきて、ホテルやゴルフ場をやたらに買収する金があるなら、オペラハウスの五つや十はたちどころにできそうだと思うであろう。だが日本人はオペラハウスなどという"生産性"のないものには手をださない。
 
     ・・・・・(以上引用)・・・・・

そして1997年、新国立劇場、初台のオペラシティにオペラ劇場が建設されました。
海外の歌劇場の引越し公演は、歌劇団に加えて有名オペラ歌手、合唱団、舞台セット一式などをそのまま持ち込み、莫大な費用がかかります。費用回収のためには座席数を多くしなければなりません。
しかし、国内のオペラ関係者は、さまざまな理由から座席数を少なくすることを主張。結局、中規模程度の劇場となりました。

日本で最もオペラに最適である新国立劇場は中規模で座席数が少なく、海外の有名歌劇場来日の場合は採算が合わないので使用していないのが現実です。
 
オペラ劇場の状況は、バブルの頃から少しも変わっておらず、オペラといえば未だ、都内では昔からあるオペラ専用ではないNHKホール、東京文化会館、この二つのホールがメインでの公演となっています。
 
オペラというのは、そもそも贅沢の象徴。オペラのボックスは社交界のステータスを意味するものだし、演奏は非現実的で、遊び人間のための遊びであり、限りない無駄に満ちた芸術。ヨーロッパの社交や文化を知る最も重要なものなのです。
 
「だからオペラハウスを建てましょう」と言っているわけではありません。
 
これからグローバル化する世界の中の日本となり、少子化が進み、さらに大人の文化が成熟していくことでしょう。
 
人間ならばだれでも官能の海に身を任せるような、クラッシック音楽芸術の宝を心の中に持つことが出来るのです。人類共通の宝です。
これを自分だけのものにしておくなんてもったいない。

これからはぜひ、大人の娯楽であるクラッシック音楽やオペラの楽しみを皆さんに紹介していけたら、と思っています。

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