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ピアニストが暗譜する その2つの理由(2)「人間はシングルタスクである」「それに見た目も重要」

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昨日の記事では、暗譜は心や運動機能の記憶でもあることを書きました。
 
60歳頃からは譜面を見て弾いていた、巨匠スビャトスラフ・リヒテルは、本来は怪物的な記憶力の持ち主で、レパートリーは室内楽を除いて80プログラム分(1プログラム約90分くらいの内容)あったと言います。
 
暗譜をやめた理由としては、「全ての記号なんて正確に覚えられないだろう。勝手な解釈には反対なんだ」」(モンサンジョン「リヒテル」)と言っています。
 
しかし、リヒテルの場合、暗譜をやめる前の演奏は、ロシア的な情緒を前面に押し出した、アグレッシブで激情的な演奏をしていましたが、譜面を置くようになってからは、淡々と音楽のエッセンスだけを抽出したような弾き方に変化したような気がします。
 
10月13日、朝カフェ次世代研究会「プレゼンの心得」 #asacafestudy にて「人間は、見て理解することと聴く作業は同時に行えないシングルタスクである。脳は常に交互に動作する。」という講話がありました。
 
もしかしたら、譜面を見るピアニストの頭の中でも、少なからずそれと同じ作用が起きているのではないかと考えます。
 
見て理解することと感情という動作は、シングルタスクではないか?
譜面を見てソリスト的な演奏をするには、これをマルチタスク化するための訓練が必要ではないか?
 
実は、リヒテルの頭の中でも、見て理解→感情→見て理解・・・の動作が行われていたのではないかと想像します。
それによって、全盛期の「魂が飛翔し、煮えたぎる感情の嵐もろとも尋常ならざる情感の世界に連れ去る」ような演奏から少し離れてしまったのではないでしょうか。
 
さて、そもそも暗譜というのは、19世紀にフランツ・リストが始めたもので、鍵盤さえ見ずに、宙に響く自分の音をあたかも見つめるように演奏していました。
彼の演奏会では失神する者も多く、その神業的演奏にふれたクララ・シューマンは、号泣するほど衝撃を受けたといいます。
 
ピアニストではありませんが、あのカラヤンも暗譜でした。
しかも目を瞑って指揮をしていたのです。
 
これがカラヤンのトレードマークとして定着し、ある種の神がかった、音楽が魔法のように湧き出してくるようなイメージ効果もあったと思います。
実際、音楽だけに集中するための暗譜であることを示す意味でも、目を瞑ることはカラヤンにとって必要なことだったのかもしれません。
 
わたしなりの意見ですが、暗譜をする意味というのは2つあると思います。
 
1、音楽的な流れと作品との一体化と演奏への集中
 
2、舞台演奏としてのビジュアル的な意味合い
 
この両方があるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
 
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