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「包括ライセンス」は“強制”できるのか

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以前書いた「思考実験「音楽配信法」と包括ライセンスの幻想」には、一点大きな誤解がありました。ここでは「インターネット上で音楽を聴く人から対価を徴収しようとすると、海外も含めて対価を徴収する仕組みが必要になる。つまり、世界的な枠組み作りが必要となり現実的でない」と書きました。しかし、その対価を音楽を聴く人ではなく、配信する人(組織)から徴収することにすれば、少なくとも国内で管理されている楽曲については実現可能かもしれません。

さて、池田氏などが、著作物について「包括ライセンス」という考え方を提案されています。これは、事前の許諾権を失う代わりに、報酬請求権を得るというものです。以前、「著作権(使用許諾権)の制限は利用を促進するか」で栗原さんにいただいたコメントでは、「許諾権的性格を弱めて報酬請求権化していくべきという考えは通説である」のだそうです。実際、JASRAC に楽曲を登録することは、まさに個別の許諾権を失う代わりに報酬請求権を得る行為になると言えます。

もちろん、音楽家が誰でも JASRAC に加入しなければならないわけではありません。たんにレーベルに帰属する(音楽を仕事にする)と“事実上”そうなるというだけで、JASRAC に加入せずに音楽活動を続けることは可能です。つまり、「許諾権を失う代わりに報酬請求権を得る」かどうかは、「音楽を仕事にするか」とほぼ等価であるとは言え、音楽家が決めることができます。厳密な意味で“強制”されてはいないのです。

ここで、(例によって)ナガブロさんのエントリから「著作権は財産権である」をお借りします。このエントリは、池田氏の「著作権は財産権ではない」に対して書かれたものです。(池田氏のご意見はともかくも)一般的には、著作権は著作財産権であると考えられています。そして、ナガブロさんのエントリにあるとおり、財産権は憲法29条により不可侵のものと定められています。たとえば、著作権保護期間の延長への反対理由のひとつに「期間は一度延ばすと短縮はほぼ無理」と挙げられているのも、いったん権利を獲得させてしまうと、後になって放棄させることが難しいためでしょう。このように財産権を損なうような形で「ルールを変える」というのは非常に困難なのです。以前、「「既得権は破壊すべきもの」か?」と書きましたが、そもそも既得の財産権については破壊することは憲法で禁じられているわけです。

同じ理由から、包括ライセンスをすべての著作権者に“強制”することは難しいと考えられます。(猶予期間を設けて)新たなルールを作ることはできるかもしれませんが、著作権者が“財産権の侵害だ”と言うようなものであるなら、既存の著作物にまで適用することはできないでしょう。また、そのようなルールの変更は、そもそも著作権者側から大きな反対が起きるに違いありません。つまり、ルールを変える(追加する)のであれば、著作者が「過去の著作物も含め、喜んで受け入れる」ようなものにしなければなりません。包括ライセンスの仕組みを作ったところで著作者が既存の仕組みにしがみつくようでは意味がないのです。

先の思考実験に限れば、それなりに著作者が喜んで受け入れる仕組みになっているとは思います。ただし、利用者の負担は増えます。このような利用者負担を増やして、包括ライセンスの導入を進めることはできるでしょうか。あるいは、著作者と利用者の双方が喜んで受け入れるであろう包括ライセンスの仕組みには、どのようなものがあるでしょうか。著作者と利用者の双方に説得力のある材料を十分に用意しなければ、包括ライセンスの話を進めるのは難しいように思います。


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著作権知的財産

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