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経営下手は社員が辞めないから。あるいは労働市場からのプレッシャーについて

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日本組織の経営が下手なのは、社員が辞めないから。

タイトルだけで言いたいことを言い切ってしまった。
とはいえそれだと心の中の自分が「ならブログじゃなくてツイートしとけ」と突っ込むので、少し解説しよう。

まず基本的な経済学のおさらいから。
市場での競争にさらされる組織(つまり私企業)よりも、競争がない組織(例えば旧ソ連とか公共セクター)の方が、資源の効率的な活用(つまり商売)は下手である。
正確に言うと私企業にも公共セクターにも、商売がうまい組織と下手な組織があるのだが、市場競争下では下手な私企業は潰れ、市場から撤退する。そして商売がうまい私企業だけが生き残る。

一方で公共セクターは競争にさらされていないので、下手っぴでも潰れない。「水道みたいな、商売という考え方が向いていない仕事」をやるために、市役所や水道事業のような公共セクターがあるのだから、別にそれ自体は悪いことではないのだが。

復習はここまで。
この「市場競争にさらされているからこそ、私企業は商売がうまい」という現象の相似形が、社員と会社の関係にもある、というのがこのブログの主旨。
つまりこうだ。
社員が辞めやすい業界では、社員によい労働環境を提供できない企業は衰退する。
社員が辞めない業界では、社員の労働環境に経営が無関心でも業績に(あまり)響かない。

ピンときますか?
説明を単純にするために、辞めやすい/辞めにくい、2つの業界についてもう少し考えていこう。

★社員が辞めやすい業界の経営
社員が辞めやすい業界というのは、「労働力の需要>供給」という構図が常に成り立っているとか、「手に職」なので転職しやすい業界だ。ある会社独自の知識よりも、一般的な知識の方が役にたつ業界と言ってもよい。
わかりやすい例は、ITエンジニアやコンサルティングだ。

こういう業界では、気に食わないことがあると社員はすぐに辞める。僕自身も以前転職したし(遠い昔の話だ)、ウチの会社にも転職してくる中途入社の社員は多い。
この「下手な経営をすると社員がどんどん辞めてしまう」というのは、経営にとってのかなりの制約になる。例えば普通に行われている業務命令による転勤も、こういう業界では基本的にはできない。本人が希望しない限り無理だ。なんなら「社員が○○に引っ越したいと言ってるから、そこに仕事を作る」というケースすらある(ウチの会社でも以前あった)。

もちろん、この流れで一番大切なのは、仕事のやりがいだ。
古臭いテクノロジーを使って古臭いシステムのオモリをするような仕事ばかりのシステム会社は今でもあるが、そういう会社は技術的なチャレンジに興味のないエンジニアしか残らない。

コンサルティング会社だって同じだ。クライアントさんの出世のためだけの仕事とか、自社の売上は上がるけれどもクライアントのためにならない仕事は嫌だし、それが理由でウチの会社に転職してくる人は結構いる。
だから社員が辞めやすい業界の経営者は、社員が辞めない経営を強いられる。最近流行りのデジタル化だって、費用対効果があるからやるというよりも「いつまでもExcelを加工するような仕事を社員にやらせていたら、優秀な人から辞めちゃう」という理由で推進することが、最近は増えてきた。
「社員に見限られないような経営をしなければ」というプレッシャーは、厳しい制約であるのと同時に、たいてい会社を強くする。市場競争にさらされている企業が強くなるのと同じ様に。


★社員が辞めにくい業界
一方で社員が辞めにくい業界も、日本にはまだまだたくさんある。多くの製造大企業はいまでも新卒を採って育てて35年雇用する前提で経営しているし、実際に離職率は低い。
そういう会社は基本的には社員にとっても良い会社で、辞めるメリットが少ない。

ただし、僕が「やりがい搾取業界」と考えているような業界は、それとは少し違う。
例えば保育師、教師、看護師、官僚などだ。
当事者からは「いやいやこの業界、めちゃくちゃ人が辞めますよ」と反論があるかもしれない。でも、僕のような社員が辞めやすい業界の人間から見ると、「こんなにひどい扱いなのに、従業員がゼロにならないなんて、どうなってんですか?」という感じだ。
教師の多くはいやいや部活の顧問をさせられて土日が潰れても、無給だったりするらしい。それで辞めないなんて、どうなってんですか?
中央官僚は国会議員が質問の締め切りを守らないので、「自分の部署に関係する質問が来る"かも"」という理由で深夜まで残業している。しかも残業代は満額支払われない。それで辞めないなん・・(以下略)

ひどい扱いをされても人が辞めにくいのは、給与や労働時間以外の面でやりがいを感じているからだろう。仕事への責任感と言ったほうがいいかもしれない。教師であればどんなに学校がクソだと思っていても、生徒を導く喜びや責任感を感じているとか。官僚であれば国家を背負うやりがいかな?

でも「変な組織運営をしたら、大切な社員がどんどん辞めてしまう」というプレッシャーがないと、問題がいっこうに解消されない。働く人が抱く責任感に、経営が甘えきっているのだ。本来コンピューターにやらせるような仕事を社員に(サービス残業状態で)やらせていても、なんとも思わないとか。
まともな家庭生活をおくれないような労働時間を強いているのに、解決に向けて行動しないとか。


そもそもこういう組織の偉い人は、自分が組織運営の責任者だと思っているかすら怪しい。例えば官僚であれば、政策立案や調整などのエキスパートなのかもしれないが、若手官僚のパフォーマンスを上げる責任が自分にあるとは思ってないのでは?毎日深夜まで働いて生産性を維持できる人なんていない訳だし。


社員が仕事にやりがいや責任感を感じるのは、疑いもなく良いことだ。
でもその副作用として、経営が甘えて組織が改善しない。
市場競争というプレッシャーがなかったソ連の共産主義がどんどん腐っていったのと同じだ。
異論反論もあるだろうが、僕は社員が「クソみたいな仕事させやがったら、いつでも辞めるからな」という無言のプレッシャーを経営者に与え続けることは、極めて良きことだと思っている。
経営がクソだと呪いながらも、個人的な責任感だけで現場を支える姿は、美しく、尊い。
だが一方で、呪っている構造を温存する力にもなっている。切ない。

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