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ダウンロード違法化と著作権法における副作用について

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MIAUの津田大介さんが、ダウンロード違法化の問題として以下の点を挙げられています(ソース)。

“ダウンロード違法化”によってもたらされるメリット、つまり著作権侵害対策という目的とその実効性に比べて、“ダウンロード違法化”がもたらす副作用によってもたらされるデメリットの方が大きくて、バランスが良くない

この考えには全面的に賛成します。法改正は常に実効性と副作用を前提で考えるべきです。法律とは理想のあるべき姿を決めるものではありません。あくまでも現実的制約の中での最適解を求めるものでべきです。ある行為が社会秩序的に望ましくないからと言って、その行為を直接的に違法化することが必ずしも最適解に結びつくとは限りません。一般に、制度設計を考える上で、「副作用」は重要なキーワードだと思います。

これは、あたかも、情報システムの設計において、インプリメンテーション(実装)を考えないアーキテクチャが意味がないのと同じだと思います。「実装上はいろいろ問題があっても美しいアーキテクチャを求めるべき」というアーキテクトがいたとしたらかなりトンデモでしょう。

そして、著作権法では、今までに、いろいろな利害関係者の思惑によりきわめて頻繁な改正が行われてきており、既に多くの悪しき副作用が顕在化しています。中山先生の「著作権法」から例を取ると以下のような指摘があります(p237「貸与権の問題点」)。

貸与権は全ての著作物におよぶため、例えばレンタカーのエンジンに組み込まれているプログラム著作物の複製物にも貸与権が及ぶのか、ということが問題となる。

もちろん、自動車メーカーが貸与権侵害でレンタカー会社を訴えるということはないでしょうし、仮に訴えたとしても、裁判所は黙示許諾とかの理由付けで何としてでも侵害にはしないでしょうが、原理的には権利侵害が継続的に行われているという気持ち悪い状況です。

もともとは貸レコードの規制を目的としていた制度設計が、すべての著作物に貸与権という物権的な強力な権利を与えるという形で法制化されてしまったために、おかしなことになってしまった例だと思います。

これに関して急に思い出したのでついでに書いておきますが以前のエントリーで中山先生の以下のような発言を引用しました(太字は栗原による)。

「特許法などは既に非親告罪となっているが、特許権は一部のプロだけが関係するものであるのに対して、著作権は日本国民全体の問題になってきている。語弊 があるかもしれないが、厳密に言えば著作権侵害をしたことがない人はおそらくいないだろう。国民のすべてが何らかの形で侵害に関与しているという状況で、 著作権侵害を非親告罪として良いのかといった点については、これから慎重に議論していきたい」

この引用ですと、「国民のすべてが何らかの形で侵害に関与している」を、「誰もがソフトウェアの違法コピーを行ったり、Winnyを使用したりしている」という意味に取ってしまう人がいるかもしれません。しかし、ここでの中山先生の真意は、著作権法の相次ぐ改正による副作用によって、社会秩序的に何の問題もない行動(たとえば、プログラムを内蔵した自動車をレンタルすること)が結果的に無意識のうちに著作権侵害になっているという状況を言ったものと思います(ご本人に確認したわけではないですが)。

まあ、いずれにせよ、冒頭の1点によってだけでも、ダウンロードの違法化(正確には、著作物の違法複製物を情を知ってダウンロードする行為を私的目的複製からはずす)の法改正には反対するに充分な理由になると思います。

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