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文芸翻訳の誤訳について

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ちょっと前のエントリーで話題にした別宮貞徳氏の「特選 誤訳・迷訳・欠陥翻訳」 を買ってみました。もう絶版なので、Amazon.co.jpのマーケットプレースで買いました。まあ、翻訳界の状況がかなりひどいことを教えてくれる貴重な本ではありますが、だいぶ前に出た本なので例として挙げられている訳書が古い(ガルブレイスの「不確実性の時代」とか)のと、誤訳のひどさの指摘が中心になっており、誤訳をしないためにはどうしたらよいかという点がちょっと不足しているのでわざわざ古本を買うほどではない気もしました。なお、誤訳をしないための英語の勉強という点で言えば、河野一郎先生の「誤訳をしないための翻訳英和辞典」が大変ためになります。

別宮先生の本の方に戻りますが、この本を再度読んで思ったのは、文芸翻訳で一番いけないのは(もちろん、訳文が日本語になってないのは論外として)、登場人物の人物像を混乱させる訳であると思いました。別宮先生の本では、家政婦の台詞で"but"を全部「だが、」で訳してしまっていると言う例がありました。会話で「だが、」を多用する若い女性ってどういう人間像なのよと思いました(「だが、断る」とか言いそうです)。

同じようなことは映画の字幕にも言えます。個人的に一番参ったのは「ロード・オブ・ザ・リング」の序盤で、サム(主人公フロドの家に代々仕える庭師)がフロドに向かってタメ口で話してたかと思うと、急に「フロド様」と言ったりしてたケースです。人間関係の把握において大変混乱しました。戸田奈津子のやっつけ仕事にも参りますが、それをスルーしてしまう映画会社の方もどうしたものかと思います。映画の字幕というのはかなりスケジュール的にきつく、かつ、特定の人に仕事が固まってしまうのでなかなか品質を上げにくいという話も聞いたことがあります。

Wikiでも使って集合知的にみんなで字幕翻訳をできれば品質も向上できそうな気もしますが、現実には難しいでしょうね(ネットに脚本アップしたらその時点で全部ネタバレになってしまいますからね)。

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