著作権保護期間延長の議論がかみ合わないわけ
だいぶ前のお話しですが、文化庁の文化審議会著作権分科会の「過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会」の記事内容を読んで、著作権保護期間延長の議論がなかなかかみ合わない理由のひとつがわかったような気がしました。重要なところだけ引用しますが、流れを理解するためにも是非、元記事の全文を読むことをお勧めします。
三田誠広氏の発言 : 「多くの発言者が、保護期間の延長でどのようなインセンティブがあるのかという話をされていた。多くの方は金銭をインセンティブと考えていると思うが、著 作者としてはそれは違うのではないかと考えている」、「多くの著作者はお金のためではなく、評価されたい、リスペクトを受けたいという夢を持って創 作しており、それが創作意欲になっている」
中山信弘東大教授の発言 : 「ヒアリングやこれまでの話を聞いていて、著作権法の基本的な構造を理解していない方があまりにも多いことに驚いた」、「議論している著作権の 保護期間は、著作財産権の問題。リスペクトといった話は著作人格権の問題だ。世界的に見ても、期間の問題がリスペクトの問題であるといった話は聞いたこと がない」
里中満智子氏の発言 : 「主に経済効果の話が強調されているが、お金のことだけで考えていいのかどうか。著作人格権は著作者の死によって無くなるが、著作財産権は残るため、利用 させないといった形で人格権が守られている部分がある」、「経済的な側面もあるだろうが、著作権が生き ている間は、利用するにはやはり理解を得なければいけないのは当然のこと」
ということで、一部の「識者」の方が著作者人格権と著作財産権を明確に区別できていないという点が話がかみ合わない理由のひとつのように思えます。さらに言うならば、諸外国の制度との調和を理由として著作権保護期間の延長をせよと主張するのならば、諸外国と比較して著作者の人格権保護に手厚い日本の制度も見直すようにしないと整合性が取れない気もします(注: 米国の著作権法では著作者人格権の明文上の規定はかなり限定的です考え方はありません。)