YouTubeとの交渉をカルテルだと言ってしまう発想について
もうかなり前の話ですが書き忘れてたネタです。YouTubeに対してJASRAC等の日本の権利者団体が共同で協議したことに対して、池田信夫blogのエントリー『YouTubeを拒絶する日本メディアのカルテル体質』において
アメリカでは、既存メディアとYouTubeの間で、個別に契約ベースでライセンス料を取る交渉が進められている。それに対して日本で、今回のように権利者団体が集まって共同でYouTubeを拒絶するのは、一種のカルテルである。公取委は調査すべきだ。
と書かれているのを読んでなかなかおもしろい発想だなーと思ってしまいました。個人的には、海外企業との最初の交渉くらいは共同でやってもよいのではと思いますが、もし、権利者団体の人にあなた方の行為はカルテルではと指摘したら、「何で違法行為をやめさせるのがカルテルなんだよ」と言われてしまうかもしれませんね。
たとえば、児童虐待や公害を発生させている企業に対して関連団体が共同で抗議するのは問題ないでしょうし、カルテルとは呼べません。こういう違法行為は人権の侵害という絶対的な問題であるからです。いわば、正しいか間違ってるかという議論です。一方、著作権侵害という違法行為に関する議論はあくまでも利害調整の相対的な問題ですから、正しいか間違ってるかというよりは、得か損かという議論です。同じ違法行為とは言っても、両者の性質はかなり異なっています。
著作権には著作者人格権に見られるように人権的な要素も皆無ではないですが、少なくとも今日広く流通している商業コンテンツの権利管理に関していえば、損か得かというビジネス上のロジックを中心に語られるべきと思います。
ところで、JASRACについていうと「著作権を守る法の番人」みたいなイメージを持たれている方もいるかもしれませんが、実体は「著作権者と包括契約することで著作物利用料の回収を代行する団体のひとつ」であります。あまり知られていないことですが、昨年9月より、音楽著作権管理業は公正取引委員会の監視対象事業分野となっております(参照PDF)。JASRACによる音楽著作権管理業の独占状態そのものが問題になっているわけではないですが、独占状態により公正な競走が妨げられていると判断された場合には、公取委が介入してくる可能性があるわけです。つまり、この意味では、音楽著作権管理業も特別な存在ではない一般的なビジネスであり、カルテル的行為があればカルテルだと言われてしまうのは当然ということであります。