ネットの匿名性を議論する際のフレームワークについて
ネット内外のいろんなところでネットの匿名性についての議論がされています。結構深い問題だと思いますので、ある程度、考えがまとまってから書こうと思いますが、この問題を考える時にいくつか重要な点があると思いますので、先に提示しておきます。
1.匿名と実名の問題はどっちが良いか悪いかというお話しではない
当たり前ですが、何でもかんでも実名にすればよいというものではありません。みんなが実名になれば責任ある情報を積極的に発言するようになるだろうというのはちょっとお花畑的考えと思います。匿名性を提供することで無責任な誹謗中傷が増えるのは確かですが、その一方で実名ベースでは出てこない本音というかマスコミが触れない(触れられない)世の中の真の姿が出てくるのはとても重要です。匿名と実名にもそれぞれ良いところと悪いところがあります。結局、両者のバランスをどう取っていくべきかという議論になります。
2.読者にとっての匿名性と管理者にとっての匿名性は分けて考えるべき
このポイント、意外にちゃんと理解されてないのではないでしょうか?匿名掲示板の代表と言われている2ちゃんねるにおいても、読者側にとっては匿名でも、管理者側にはIPのログが残ってます。問題は(特に民事事件において)管理者側が情報を適切に出さない点にあるのであって、2ちゃんねるの仕組み自体はもう少しちゃんと管理さえすれば結構適切なのではと思います。
3.完全な匿名と完全な実名の間にも固定ハンドル名などの選択肢がある
たとえばネット上では常に特定の名前を使うが、実世界とのリンク付けはしないというパターンです。匿名ブロガーではこういう人は多いのでは(たとえば、R30氏)。これをうまく機能させるためにはなりすましや自作自演を防ぐ手段が必要ですが、この辺をネット全体でサポートする方法としてOpenIDなんてのがあったりします(ただし一人で複数IDを取ろうと思えば取れてしまうので厳密には自作自演は防げませんが)。
こう考えてみると検討すべきパターンは、完全実名から完全匿名の間に、いくつかあることがわかります。一番実名度が高いのがこのブログみたいに実世界の本名をさらして書いているケースでしょう。
逆に、一番匿名度が高いのはWikileaks、Winny2、Freenetなどの、暗号化を駆使してユーザーにも管理者にも情報発信源の特定ができないようにしたメディアです。Winny2は別として、Wikileaks、Freenetは、言論の自由が守られない国家・社会における情報発信手段としての大義名分はありますが、こういうテクノロジーを使ってしまって本当に大丈夫なのかという不安は正直あります。とは言え、仮に法律でこういう匿名性の高いテクノロジーを禁止したとしても、やる人はやってしまう(Wikileaksは中国の反体制派が運営しているそうなので政治的信念に基づいてやってしまうでしょう)ので難しいところであります。
全然、答を示せていませんが、まずは問題提起と議論のフレームワークの提示ということで。