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さらばOS/2について

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スラド経由で知りましたが、ついに日本IBMのWebサイトのOS/2のページがこういう状態になりました。実は自分はIBMの中の人だったころに、フロリダ州ボカラトンの研究所でちょこっとOS/2の仕事をしてたこともあるので感慨深いものがあります。Warpになる前の初代OS/2のころです。

もう20年以上前のことなので書いてしまいますが、この時期のIBMのPC事業戦略はひどいものでした。初代IBM-PCは歴史的成功を収めましたが、これは当時のPC事業部が社内ベンチャー的に自由に動けていた結果です。PCが思ったよりも大きなビジネスになると知った経営陣がPCをIBMの全社的な枠組みの中に持ってこようとしたとたんに、官僚主義の弊害が出て、とんでもないことになってしまったわけです。失敗要因として大きいのは、以下の点だったと思います。

PCアーキテクチャのクローズド化戦略
 OS/2は旧PCアーキテクチャでも稼動するのですが、当時開発されていたPS/2と歩調を合わせる形で戦略が進んでました。当時のPS/2はクローンマシン問題に対応するために、Micro ChannelというIBM独自のスロット・アーキテクチャを備えたものでした。ボカラトンにいた時にOS/2チームとハードウェア・チームでの情報交換の集まりで、私の「PS/2はPCのスロットと上方互換性はあるんですよね?」という質問に対する、ハードウェア・チームの人の「No」という回答に会場が騒然としたのを覚えています。OS/2はIBM独自のクローズドなOSというイメージがついたのは痛かったと思います。

超黒歴史としてのSAA(System Application Architecture)
 SAAというのはIBMの多様なシステム・アーキテクチャを共通化しましょうという技術的にちょっと無理がある構想でした。コマンド、API、UI等をメインフレームからミッドレンジからパソコンまで共通化しようというお話です。文字コードや根本的なアーキテクチャが違うのに、変換ソフトウェアをかませたくらいで対応できるわけはないのですが、そういう技術的フィージビリティの検討がほとんどされないまま、マーケティング主導で話が進んでしまったようです。OS/2をSAAに取り込もうという戦略のせいで、ただでさえ遅れているスケジュールがさらに足を引っ張られる結果になりました。

疑問があるターゲット・ハードウェア
 初代OS/2のターゲットのチップは80286でした。80286のプロテクト・モードを活かしつつ、従来のDOSアプリケーションも動かすために、稼働中にプロセッサにリセットをかけてモードを切り替えるという荒業を使っていたと思います(後に、ビル・ゲーツが"brain-dameged"な設計と言ってたと記憶しています)。80386の登場まで待てば、複数の8086リアルモードがハードウェアとしてサポートされたのでもっとスマートに対応できたのですが、なぜかIBMは中途半端で製品寿命も短かった80286にこだわってしまいました。

複数組織による開発体制
 初代OS/2はマイクロソフトとIBMの共同開発でした。たしか、マイクロソフトが開発ツールとウィンドウ周り、IBMがカーネルと通信機能関係みたいな分担だったと思います。さらに、IBMの中でも世界中に分散した多数の研究所で開発してたと思います。現在のようにネットでのコラボ環境が充実しているならまだしも、当時のこういう形での開発体制はあまりにオーバーヘッドが大きく、スケジュールをさらに遅延させる結果になったと思います。

ガースナー就任以降はIBMの官僚主義も大きく改善されて、製品戦略も妥当なものになったと思うのですが、OS/2はその後も結局市場で成功できませんでした。OS/2 Warpはテクノロジー的にはすばらしかったと思うのですが、この最初の段階での戦略ミスを挽回するには至らなかったということでしょう。

Comment(10)

コメント

砂鱒

とうとう、OS/2も終了ですか。
WarpのWorkPlaceShellの使い勝手は、Windows95より数段出来がよいと感じましたが。
技術的には良かったのですが、営業戦略等の問題で、Windowsとは、勝負になりませんでしたね。

Ver1.XのDOS互換ボックスなんて、すごい方法で実現していて、平凡な私には到底思い付かないアイデアでした。

mohno

MCA は、独自性よりも高額なライセンス料で嫌われたのではなかったでしたっけ。
OS/2 自体は開発キットも高かったし、Presentation Manager では印刷もできなかったそうな。たしか、米国仕様 SDK と日本仕様 SDK も共通化されてなくて、アプリの移植には苦労があったと聞いた気もします。

bibendum_iwa

かつて勤務していたIBMの宣伝で94年から95年にかけてOS/2Warpを担当していました。そう、山口智子を使った広告キャンペーンです。そういえばWindows95出荷の夜には広告代理店の人たちにずいぶんと秋葉原の店舗を走り回って偵察してもらったりもしましたね。

開発体制、営業や会社の姿勢、Marketingのあり方、Windows95の出荷・・・栗原さんのコメントにあるようにいろいろな意味で問題を抱えていましたし、本当に苦労しましたが、ついにOS/2Warp終焉を迎えたという話を聞いて、その頃の事がフラッシュバックしてきました。今となっては胸が熱くなるほど懐かしい思い出です。

思えば遠くへ来たもんだというのが素直な感想です。

スラッシュドットのコメントにもありましたが、OS/2は周辺機器のドライバが少なかったのが商業的に成功しなかった大きな理由のような気がしています。
私は使ったことはないのですが、技術的には優れていたようですね。1998年の長野オリンピックの時に会場のコンピューターシステムにOS/2を使って大きなトラブルを出さなかったと聞いています。

最近の傾向ではメーカーがサポートから手を引いたソフトはオープンソース化するというのがあるのですが、OS/2に関してはどうなんでしょうか。

栗原潔

OS/2のオープンソース化については、スラドでも議論されてますね。
http://slashdot.jp/articles/06/12/25/1542255.shtml
個人的には、OSSのカーネルはLinuxに集約した方がよいのではと思います。Linux環境に適用できるコードがあれば、IBMの判断で寄贈すればよいのでは?

mohno

> OSSのカーネルはLinuxに集約した方がよい
BSD や Solaris の人(+Gnu Hurd by Stallman)は、そうは思っていないのでは?
私が書くようなことでもないですが。
(オープンソース化すべきと思っているわけではないです)

栗原潔

(Linuxを戦略として推進している)IBMとしては、Linuxにフォーカスした方がよいのではという意味です。

中村英史

懐かしい単語を見て思わず書き込みました。私もグラフィックス・システムの R&D に従事していたので、同様な感慨に耽りました。

現役 IBMer として見ても、確かに失敗 (しかも結構大きい) が多い会社です。ただ、それらから教訓を学んで、新たな分野に乗り出す姿勢 (よく言えば前向き、悪く言えば懲りない) があるのは面白いと思えるようになってきました。もっとも、自分がシステムからサービスへと "転向" した経験も大きく影響した感想だと思いますが。

栗原潔

中村さん、亀レスですがこんにちは。
OS/2初代バージョンができたころは、IBMが会社としてクローズドな世界からオープンへと大きくシフトしていた時期なので、戦略ミスはすごく多かった気がします。せっかく現場のエンジニアががんばっているのが無駄になってしまうケースも多かったと思います。
しかし、この手の問題はガースナー以降はかなり克服されたと思います。やはり、ガースナーは偉大なチェンジ・リーダーであったと思います。

中村英史

栗原さん、

#小亀レス(亀よりさらに遅い、、、)ですが。

いろいろな戦略ミスとその後の教訓という分析をしたら面白いかもしれませんね。

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