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日々の「ハッ、そうなのか!」を書き留める職遊渾然blog

創造はしばしば徹底から生まれる

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(略)まず科学のある重要な考え方は、その創始者にとっては多大な努力の後の到達点であっても、次の世代にとってはそれが当たり前の常識になって、次の発展の母胎になるという事実を忘れてはならない。(略)

 付け加えると、まねが上手なのは良いことで、それもできないようでは何もできない。「(日本人は※)まねは上手だが創造力はない」などと、それこそ人の口まねのようなことを言うのはやめて欲しいものである。まして、それを教育方法、特に、教える分量に結びつけるのは実に愚劣だ。

 (略)若き世代への私の忠言は、いかなる研究も中途半端にせず、どうしても認めさせずにはおかない水準にまで徹底的にやれということである。創造はしばしば徹底から生まれ、そしてまた、若き諸君にはそれができるはずなのである。

(※ 引用者が追加。原文では文脈上明らかだが、引用文では主語が欠けてしまったので補った)
(この文章は、読売新聞2001年11月8日論点への寄稿記事を著者が掲載したもの)
志村 五郎 『記憶の切繪図―七十五年の回想』 筑摩書房 2008年

創造はしばしば徹底から生まれる。似たような格言の類はたくさんありますが、自分にしっくりくる表現とそうでない表現があります。これは前者なのでメモしておきたくなりました。

この本は数学者の回想録で、上記の引用部分は最後のほうに出てきます。超越的に「徹底」している方のこの言葉には迫力を感じました。

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