教養人と知識オタクの違い
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そうした動機の核がないまま、大量の本を読むだけの人は、ウンチク一般が好きな、ただの知識オタクにすぎない。
(『教養コンプレックスを克服する2+1読書術』プレジデント、2005/8/29号)
ドキッ。しかしこれだけでは
「やっぱりそうだよね」であり、
「ハッ、そうなのか!」にはならない。
僕が松岡正剛氏(編集工学研究所所長)の文章を読んでハッとしたのは、
上記の「そうした動機」が指し示していたものでありました。
人は誰でも、子供時代、不思議でたまらなかったこと、大好きだった遊び、さらには、嬉しくて、あるいは逆に悲しくてたまらなかった思い出を持っている。私は、こうした「幼な心」を満足させることが教養の核にあるべきではないか、と思う。
そうした動機の核がないまま…
(同上)
ビジネス書・実用書は明確な目的を持って読むことができます。
しかし、その他の本はどうか。どのように自分なりに知を体系づけるか。
体系を作るためには何か「核」が必要で、
僕は「(自分なりの)研究テーマ」などと呼んでいましたが、
「幼な心」にはハッとさせられました。
自分の中の根源的な興味のありかを、分かりやすく示した言葉です。
※ 記事を教えてくださった、ISIS編集学校 頭取の大川さまに感謝します
(参考)
> 起-動線 - つづろーぐ - 教養の核とは「幼な心」を満たすこと
> 編集工学研究所
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