目的地が無い自分探しの旅には付き合えない
1週間前に投稿した「私にしかできない仕事というのは組織では幻想」というエントリーであるが実はあれを書きながら頭をよぎったは数年前のある経験。そもそものきっかけになった「若者はなぜ3年で辞めるのか?」の中にも最近の若者の就職活動における“自分探し”という行動に関する記述があるが、“自分探し”をしている若者とのちょっと手痛い経験である。
以前にも書いたが「将来コンサルタントになりたいんです」とか「ITを使ってこんな仕事をやりたいんです」といった相談を時々受ける。かつてその中に「道具やツールが人間の働き方に与える影響を考えていく仕事がやりたい」という後輩がいた。もうちょっと具体的に内容を聞いたところ「例えばオフィスでの座席の配置の工夫や机や文房具といったツール等のデザインを考えることで職員の作業効率を上げる仕事」という話であった。これを聞いたときには、その夢自体には面白いと思ったものの、正直IT系の企業に入社しておいてその夢はちょっとどうかと思い「今いる会社にはそのような仕事はほとんどないので難しいよ」と即答したものである。それでもそう言った彼女の希望は頭の隅に残っていたので、その後ある大きなプロジェクトで「ユーザインターフェースのデザイン面を標準化してよりわかりやすく使いやすいシステムにする」というニーズ(要はWebデザインとアクセシビリティの標準化)があがったときには、その後輩に声をかけて趣旨に近いものか確認をした上でプロジェクトへ参画をさせてみた。組織のラインも違う中での話なので向こうの上司も巻き込んだり、いろいろな裏技を駆使して政治的なフォローをくわえた上でのことである。
ところがその結果はひどいものであった。当然初めてやる仕事であるから最初から品質が上がるわけではないことは覚悟していたが、情報収集や関連書籍の読み込み、有識者を捜して捕まえて聞くなどといった基本動作からまったく出来なかったのに加え、仕事が出来ていないことの自覚もないため上司や発注者である私に経過報告すらない散々な有様で最後まで一挙手一動作を厳しく指導せざるを得ない羽目となり、その結果評価もしてあげられなかった。当時の先輩からはそれ見たことかと「意欲の上滑り」と指摘され注意を受けた。
こうしてチャンスを貰ってやりたい事(に近い事)をやっているのにも関わらず、自分がやった内容の品質を自覚できないというのはどういうことなのか、その後私なりにもいろいろと考えた。こういう人はやりたい仕事と言いながら、その実その具体的な仕事内容のイメージがまったく出来ていないのではないだろうか。単純にテーマが面白そうだとか格好よさそうみたいなイメージでだけやりたい仕事を唱えているのではないのだろうか?
これでは組織の中で目的地のまったく見えない自分探しの旅に出ているようなものだ。こういう目的地の決まっていない人に環境を揃えても意味がないし、やりたい事に対する準備や日頃の過ごし方のアドバイスをしても効果はあまりないと考えるようになった。他人の私はずっと一緒に旅をしてあげることはできないのだから。
若者がやりたい事や将来の夢に向かって“声をあげた”時にアドバイスとチャンスを与えるのは我々中堅社員の重要な役割のひとつだろう。この経験以前も以後もそういった後輩には何がしかのチャンスを作ってあげるように努めている。しかし、時たまやってくるこういった目的地の見えていない自分探しの旅の旅人には、まずやりたい仕事の内容をより具体的に説明できるまでしつこく質問をしてあげたり、当面の目標(手本)となる人物ぐらいは挙げられるように手助けをするほうがよい、というのがこの貴重な経験から学んだことだ。
#念のために書いておくがこの体験を後悔しているわけではない。貴重な勉強をしたよい経験だと思っている。
さてこの話にはオチがあって、件の後輩は社内では音信不通になりその後退社したようだが風の便りによると今は国際援助か途上国開発か何かそっち関係で途上国に留学しているそうである。自分の人生の長い時間をかけた「自分探し」の旅は困難で大変だろう。できるなら頑張ってなにかを見つけて欲しいと願ってやまない。