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大量消費をボイコットしはじめた生活者視点からのインサイトメモ

多層的な「場」のデザインについて(デザインの話・第四話)

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多層的な場のデザインをテーマに、友人たちとアドリブで語り合った:

高橋博之氏(activist
岩田章吾氏(architect
黒田ゆう氏(realtor


The Fool On The Hill

廣江:岩田さんがよく言う「アホみたいな」デザインって、どういうものですかね?(前回のディスカッションからの続き)

岩田:「アホみたいな」デザインは、当たり前すぎて拍子抜けするような(アホみたいな)デザインですね。あまりに自然で意図や作意が感じられないようなデザイン。「アホみたいな」デザインは境地であって、目指すべきものではないと思います。小さく考えるのも(Think small.)、デザインしないことも(No Design)、この境地に至るための経路(手法とは言いたくない)なのではないかと思います。(ただしミニマリズムは、目指す方向が違うと思います)

ちょうど七色の光を合わせると透明な光になるように、いろいろな作為や工夫を尽くした結果、それらがすべて消え失せる。そんなデザインが「アホみたいな」デザインです。極上の「アホみたいな」デザインは、それは一つの時代を指し示していながら、ずっと以前からあったかのようにみえるデザインであり、当り前のようで、見たことのない、「おぼろげな既知のなにか」が、「明確の未知の物」として出現したものでもあります。

車のデザインは門外漢ですが、フィアットのパンダなんかもその凄さは素人目にはわからない「アホみたいなデザイン」なのでは?

FIAT PANDA

岩田:以前アート作品であらゆる人種の顔をすごいスピードで映し出していくと、残像から、アルカイックな顔、ギリシャの神のような、が現れるというのがありました。ユーロセントリズム的で嫌だったんですけど、アイデアは面白いと思った。これまでにデザインされた何千という車で同じことをやったらパンダが立ち上がって来そうです。

廣江:初代フォルクスワーゲン・ゴルフ(1974年)も初代フィアット・パンダ(1980年)と同じく、Giorgetto Giugiaroが手掛けたデザインですね。

ゴルフとパンダ、この「アホみたいなデザイン」のクルマが誕生し、ヒットしたことが、自動車業界にとっては非常に大きな転換点だったと思います。

VW Golf

廣江:「70年代」という時代には二面性がある。自由を希求する熱情と拝金主義への馴致。日常において目に入るものが、ことごとくプラスティックに置き換わっていったのが70年代。初代ゴルフも、シンプルな造型とカラーリングがまるで文房具のようでもあり、その自動車らしからぬ佇まいが衝撃的だった。そしてそれが自動車をデザインする際に、誰もが意識せざるを得ないリファレンスとなった。

初代ゴルフは、フォルクスワーゲンの「Think small.」というコンセプトを揺るぎないものとした完成形といえます(それが元々は米国の広告代理店が考えた後付けのスローガンだったとしても)。岩田さんがいうところの「アホみたいなデザインの境地」に達している。

今買えるものの中で「アホみたいなデザイン」のクルマはどれか、というようなことは考える必要が無い。初代ゴルフを横目で睨みながらジンをあおるだけでよい。


廣江:映画でいえば「アホみたいな」映画は小津安二郎ですね。あれはパッと見だと、なんだか意味がわからない映画だと思う。「古き佳き日本を描いた」というような形容はまったくの誤読だし。そこに類い希な美意識があったのは確かですが。

「アホみたいな?」
「そうかね?そういうものかね」
「そうだとも」
...といった間合いも独特で、かすかな違和感がある。

原寸大の日常をリアルタイムになぞっているようにしか見えない。だが、あのように真正面のローアングルで短いカット割りが淡々と続くと、なんとなく現実と乖離しているように感じられるんだね。

しかしなんだね。そういうリズムにも、いつの間にか慣れてしまうんだな。これもあるいはひとつのリアリズムかもしれない。

そうかね。そういうものかね。

岩田:確かに、あのアングルの異常な低さがあってこその佇まいですよね。建築も、都市も、低いアングルからみると絵が納まって見えます。そういう意味では、小津安二郎の映画は、建築や都市が主役であり、登場人物や、物語はそれらをつなぐ媒体と言こともできます。なので、物語に注目しているとあのローアングルが気になるのでは?

建築や都市など動かない物を画面における主役とすることで、人間の移ろいが儚く描かれているのではないでしょうか。フェリーニの巨大建築、キューブリックのシンメトリーな構図などと通じるような気がします。

家族やコミュニティの崩壊、コミュニケーションの困難さなどがテーマとしてあり、それが、「アホみたいな」境地で描かれているということですね。別荘や保育園などを「アホみたいな建築」とすることを目指すのと同じです。テーマから始まりテーマを超えるんです。

廣江:ヴィム・ヴェンダースの「東京画」は、小津映画の批評(再評価)として撮られた映画ですが、これを観ると、日本は戦後ずっと「西ベルリン」の役割を演じさせられていたように思います。資本主義的繁栄を共産圏に見せつけるためのショウルーム国家。明治維新以来の大日本帝国の民草は、皆「足軽」から「企業兵士」へと衣替えしたが、内容的には「脱亜入欧」「富国強兵」の反復だったのではないかと。

そして日本各地で「開発」が進み、街の多層性が失われた。


Network Hub

岩田:ジェイン・ジェイコブスが提唱した都市の多様性を保つ運動においては、子供が重要な役割を担っていました。

ジェイン・ジェイコブズが社会運動を通して見出したもの:

都市の街路や地区で、溢れんばかりの多様性を生成するためには、4つの条件が必要不可欠である。

1. 地区、そして、地区内部の可能な限り多くの場所において、主要な用途が2つ以上、望ましくは3つ以上存在しなければならない。そして、人々が異なる時間帯に外に出たり、異なる目的である場所にとどまったりすると同時に、人々が多くの施設を共通に利用できることを保証していなければならない。

2. 街区のほとんどが、短くなければならない。つまり、街路が頻繁に利用され、角を曲がる機会が頻繁に生じていなければならない。

3. 地区は、年代や状態の異なる様々な建物が混ざり合っていなければならない。古い建物が適切な割合で存在することで、建物がもたらす経済的な収益が多様でなければならない。この混ざり合いは、非常にきめ細かくなされていなければならない。

4. 目的がなんであるにせよ、人々が十分に高密度に集積していなければならない。これには、居住のために人々が高密度に集積していることも含まれる。

この4つの条件は、どれかひとつが欠けても有効に機能しない。都市的多様性が生成するためには、4つの条件すべてが必要である。

(ジェイン・ジェイコブズ "The Death and Life of Great American Cities")

ニューヨークでも、東京でも、パリでも、人間の活動圏内で、人的、仕事的、生活的ネットワークが緩くでも完結している必要があるという事だと思います。

廣江:人に会いに行くこと・会いに行けること(そのような街であること)は大事ですね。東京は、街の造りが良いわけではないが、僕自身にとっては色んな人に会える場だった。なにしろ首都圏は、4000万人が暮らす世界一大きな「都市」だから。

岩田:ジェイコブスの主張はそういうメガシティスケールの話ではないと思います。むしろ最近の15ミニッツシティのように、徒歩15分で、さまざまな人と出会い、仕事し、生活できるマイクロシティを都市内に作っていこうという話だと思います。もちろん、遠距離の人と出会えることも大事ですが。

たとえば神奈川県の真鶴町は進歩を否定するという潔い街づくりをしてますね。地域遺産を最大限活かすという立ち位置です。

真鶴町は自然環境、生活環境及び歴史的文化的環境を守り、かつ発展させるために、次に掲げる美の原則に配慮するものとして定めている。

・場所:建築は場所を尊重し、風景を支配しないようにしなければならない。
・格づけ:建築は私たちの場所の記憶を再現し、私たちの町を表現するものである。
・尺度:すべての物の基準は人間である。建築はまず人間の大きさと調和した比率をもち、次に周囲の建物を尊重しなければならない
・調和:建築は青い海と輝く緑の自然に調和し、かつ町全体と調和しなければならない。
・材料:建築は町の材料を活かしてつくらなければならない。
・装飾と芸術:建築には装飾が必要であり、私たちは町に独自な装飾を作り出す。芸術は人の心を豊かにする。建築は芸術と一体化しなければならない。
・コミュニティ:建築は人々のコミュニティを守り育てるためにある。人々は建築に参加するべきであり、コミュニティを守り育てる権利と義務を有する。
・眺め:建築は人々の眺めの中にあり、美しい眺めを育てるためにあらゆる努力をしなければならない。

パタンランゲージという合意形成ツールを用いた街づくりを行っているところが特徴です。パタンランゲージは「アホみたいな」街を作る手法ではあります。プロセスを共有することで、住民を当事者として巻き込める点が、市民を消費者として捉えるジェントリフィケーション街づくりとは対極的です。パタンランゲージは都市の技術の手法でもあり、「アホみたいな」街角を色々な視点から評価できる。つまり街を昨日や象徴やデザインからだけでなくさまざまな立場、さまざまな価値観の総体として街を捉えるので、アフォーダンス的特質は確かにありますね。

ヒトは自然という他者を排除し、統御するために文明を、社会を、都市をつくってきました。その結果もたらされた近現代社会は内なる他者、他者としてのヒト、そして、自身の意識や身体に宿る他者と向き合うことになりました。そして我々はそれらの他者を統御する術をまだ十分に持ってはいない。

廣江:ダイレクトに関わることを避けようとしますよね。なんらかの媒介を通すことが常態化している。高橋さんが企画しておられる「親子地方留学」のように、鹿を捕まえてその場で切り分けて食べるのとは対極にある。

お金があれば何とでも交換できる時代。人は次から次へと空虚な欲望を満たそうとする。いくら満たしても飽き足りない。一度、自分の手元にあるものをアプリシエイト(評価)し直してみたらどうなんだろう。

黒田:音楽、旅行、スポーツ、メイク、ヘルスケア... 世の中の人が気にする、こだわる、好む、ことの多いこれらの事柄を、私はどうも苦手としてきたのだけど、それは、比較的原始的な環境で育ったことに起因するのかもしれません。野菜や家畜を育てて加工して食べる、ということを生活の基盤に置いていると、欲望が根源的になるというか。それでも考えてみると、この25年ほどで、少しずつ現代社会に適応しつつあり、もともと興味のない分野に、少しずつ踏み込んでいるような気がします。

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岩田:レッジョ・エミーリアは第二次大戦後の働く母親のコミューンから生まれた幼児教育アプローチ。年齢別に訓育する日本のシステムとは異なり、異年齢の小グループによる、自由度の高い教育です。同年齢の横並び教育が、他者との差異を無くすべきものと認識させ、競争させることを通じて均質化、高度化を目指すものだとすれば、このアプローチは、差異を個の特性と認識し(小さいからできないのは当たり前、小さいから手伝ってあげないと)そこから共同性、相互扶助の感覚や創造性は発達させます。日本でこのシステムがあまり採用されないのは、チューターの人数が多く必要なこと、そして、小学校に入学した時に、じっと座ってられないなど、他の子と進度に差が出るなどの理由による。さらにいうと、それで小学校の先生に呼び出されるのが、お母さん方には耐え難いかららしい。

レッジョ・エミーリアには、より良い戦士であること(働く=戦う)を訓育する父系社会とは異なる、生活を豊かに享受する(働く=遊ぶ)のプレイヤーを産み出す母系社会的意志があるように思います。

黒田:世界各地で「女性解放」運動がありますよね。解放って、何からの解放かと言えば、やはり男性社会からの解放なわけです。エリザベス女王の生涯を描いたというドラマ「The Crown」を観ましたが、エリザベス女王といえども、男性社会との折り合いを付けるのは難しいことのようだったんだな、と思わされる描写が至る所にありました。制作者がそれを意図したのかもしれませんが。

女性のライフスタイルを定義しようとした代表例は、平塚らいてう(らいちょう)かな。私は20代の時に、祖母の本棚にあった「元始女性は太陽であった」を発見して読んだのだけど、今読んでも鮮烈。ただ、鮮烈すぎて熱狂的なファンは生み出したけれども、残念ながらライフスタイルにはならなかった。

その大きな要因は、彼女は女性と男性を対立させてはいなかったのに、同時代人も、後世の人も、彼女のファンになった多くの女性たちが、このタイトルを、男性との対立の旗印としてしまったことにあるのではなかろうかと思う。

会ってみたかったな、と思う数少ない歴史上の人物の一人。

廣江:小学校で5・6年生のときの担任、福島蔦子先生は、教室の机を六人グループで並べて、皆で話し合いながら授業を進めることを始められた。僕がいたクラスは、そうした取り組みの最初の年だった。先生にとってもチャレンジだったと思います。転校生・転入生には授業時間を変更して歓送迎会を開いたり。心に残る恩人です。

岩田:北海道厚沢部町の「保育園留学」という取り組みは興味深い。

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2208/15/news062.html

高橋さんの「親子地方留学」と同じ流れでしょうか。都市住民も地方住民もいくつもの魂の場所を持つことができればいいですね。

高橋:保育園留学やってる山本さんは仲良しです!

岩田:そうなんだ!世界中の人は七人でつながっているそうですが、すべてが均質ではなくて、より多くの人につながるハブのような人が必ずいるそうです。都会と地方、さまざまな人が多様につながるハブのような場所が日本中にできれば、場所と繋がりながら縛られない繋がりのネットワークができそうですね。

歴史的町並みの保存に協力していると「うちなんか大したことない、保存なんてするもんじゃない」「(すでに保存が進んでいる)あそこは別格、うちはそんないいもんは何にもない」というような住民の意識を変えるのがとても大変です。「我が家の芝生は青かった」という認識を個々の建物、町、地域で進めていくことが必要です。他者の(好意的な)視点を持ち込む意味で、地域マップのワークショップ等も開催したりしますが、いろいろな人が訪れるハブがあるとさらにいいのではと思います。

廣江:愛知県新城市で有機循環農法を実践しておられる「福津農園」さんも、そのような多層的「場」ですね。多様な微生物が生息する豊かな土壌で果樹も野菜もお米も家畜も一緒に育つ農法、そのような考え方に共感する人と人の繋がり。それらが重なり合っている。


新城市「福津農園」古民家改修工事

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設計施工:「花の木の家」株式会社バイオ・ベース

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