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NHK放送記念日特集「激震 マスメディア ~テレビ・新聞の未来~」を見て感じたこと

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3月22日(月)午後10時より、NHK放送記念日特集「激震 マスメディア ~テレビ・新聞の未来~」が放映されました。それを見ていろいろ感じたところはありますが、いま言えそうなことを思いつくままに書いてみました。

 
▼ 変化する視聴者・読者についていけてないマスメディアの実態

今回、強く感じたのは、(テレビや新聞を代表とする)旧来「マスメディア」と呼ばれていた側の代表者が現状を正しく理解していないのではという思いです。インターネットがこれほど普及する以前では、一般の人々が広く情報を得るにはマスメディアに頼るしかない状況がありました。

しかし、現在ではインターネットによって誰もが幅広い情報を得ることができるようになっています。しかも、その中には、テレビや新聞の報道内容に異議を唱えるものも数多く存在します。かくいう私も、先日のプリウス問題では、その報道のありかたに異議を唱えた実績があります。

マスメディアにとって本当に厳しいのは、報道内容に対する異議が多くなることでマスメディアに対する信用が大きく低下していくことではないかと思います。最近の若者がテレビや新聞を見ないのも、世の中のことに関心がないわけではなく、その情報価値を相対的に低く評価しているからではないでしょうか。

このことは、視聴者・読者に情報選別能力が備わってきているということでもあります。いまのマスメディアの人々には、その現実が認識されているのでしょうか?

今後のマスメディアは、こうした“多様な”情報を持つようになった視聴者・読者とどう向き合うかが重要になるはずです。取材をした記者よりも詳しい視聴者・読者が数多く出現し、その視聴者・読者が報道内容に納得しない。そんなケースが多々生まれる可能性が出てきているわけですから。

従来のような、「自分たちが発信する情報こそ真実」というような態度を取るマスメディアは、確実に信用を失っていく。そんな気がします。


▼ 安直、恣意的な報道はマスメディア自身の首を絞める

本来、報道とは事実を積み重ねた内容であるべきです。しかし、最近では感情に訴える手法が多用されているように思えてなりません。一般に、視聴者・読者の感情に訴える手法は、特定の方向への誘導を意図している場合に使われます。誰にもわかりやすいのは、対立の構造を作ること。一方を正義に仕立てて、もう一方を悪と仕立てれば、あとは勝手に流れが作られるわけです。もちろん、マスメディア自身は正義の側で、悪者を叩く存在として振舞います。

しかし、世の中は、必ずしも正義の対極に悪があるわけではありません。いまの視聴者・読者には、ある正義の対極には別の正義があることを知っている人々が数多くいます。

マスメディアに求められているのは、その報道に対する責任意識です。いまの報道は、まず結論(前提)があって、それに合うような流れを内容に持たせることが多いようですが、それはあまりに恣意的です。良質な報道をするためには、「誰に何を伝えようとしたのか?」「事象のどの部分を、どういう理由で切り取ったのか?」「その選定(切り口)は、正しいのか?」「反対の意見はきちんと吸収しているか?」といった「なぜ?」を客観的に自問自答しながら報道内容を作成する必要があり、その姿勢は、今後ますます重要になってくると感じています。

たとえば、米国ABCのトヨタ車暴走実験の映像。この報道は、まず最初に「トヨタは悪い」という結論で作られたのではないでしょうか。そもそも回路を意図的にショートさせた時点で問題だと断定できるはずなのに、いまだにその報道に対する自己批判を行っていないように見えます。自浄作用のないマスメディアは信用できませんから、私の評価としてABCの価値は大幅に下がってしまいました。このような事例は、意外と多いものです。


▼ マスメディアの改革は、まず最初に意識を変えること

マスメディアに対して少し厳しいことを言いましたが、それは、なんだかんだ言ってもその影響力はいまだに大きいということを認めているからです。テレビや新聞で報道される内容は正しいはずだ。そう思う視聴者や読者はまだまだいっぱいいます。その傾向は、(全体に占める割合はともかくとしても)これから先も維持されるでしょう。だからこそ、変わってほしいと感じるのです。

もちろん、マスメディアの中でも苦悩はあると思います。たとえば、テレビの時間枠や新聞の紙面の制約。限られた枠の中で報道を行うためには、何かを取捨選択しなければいけません。また、ニュースなどは、幅広い視聴者や読者に合わせて“わかりやすい”表現をしなければいけないという制約もあるでしょう。これは、やってみるとかなり難しいものです。とはいえ、だからといって報道内容に正確性が欠けていいということにはなりません。

こうしたケースでの問題の根本は、報道のための時間枠や紙面に限りがあるという点です。この話題を考えるきっかけとなったNHK放送記念日特集も、最後は時間の制約で終了した印象がありました。個人的には、予想通りというか、議論がかみ合っていた印象はないことから終わることはかまわなかったのですが、もし、白熱した議論が続いたとしても放送枠の関係で終了すると考えると、そこにある種の限界を感じざるを得ません。

また、新聞では、紙面に収めるために記事本文を削ったりすることがよくあります。そのことによって、微妙なニュアンスが変わるということはないのでしょうか?

こうした制約は、インターネット(Web)にはありません。現在の新聞社のニュースサイトは新聞紙面と同じ記事を掲載していますが、これを、記者が本当に書きたかった内容で掲載しなおすということができれば、読者の目もまた変わってきそうな気がします(大人の事情として、紙による収益を捨てられないとかいう話は別に置きます)。まじめに取材している記者は、数多くの人や資料にあたっていますから、書きたいことはいっぱいあるはずなのです。

いずれにしても、マスメディアがいままでと同じ形で今後を生き延びることは難しいと考えられます。将来に順応できるように変わるためには、既得権益に固執しないこと、視聴者・読者とは対等の関係であるという認識を持つことが重要ではないでしょうか。個人的には、マスメディアとインターネットが対立するのではなく、それぞれの得手不得手を理解して、両者がお互いを上手に補完するような形で未来が訪れるようになってほしいと感じています。

 

Comment(4)

コメント

まさに同じ感想を持ちました。
テレビ、新聞の代表の方々は今の流れに気づかないまま、現状認識、現状分析を行い、業界の今後の方向性を語る。 といった印象。

根底にあるのは、
『国民は適切な判断ができない。ゆえに訓練された記者が情報を選別し、解説を加えて発信してあげなくてはならない。』
という、ある種の”驕り”。

ネット側と議論がかみ合っていなかったですね。

しかし、この議論の中で、『地上のデジタル化』や『ユニバーサルサービス』をキーワードに、TVの存在意義を唱えていたのには、単なる驚きを超えたショックを受けました。

本人

成迫さん
コメントありがとうございます。
 
おそらくですが、テレビ・新聞の代表として出てこられた方は経営的な視点で語ることしかできなかったのでしょうね。人は、一度でも成功を味わうとなかなかそこから抜け出せないのだなぁとしみじみ感じました。個人的には、今回の内容について、現場の人の意見を聞いてみたいです。
 
それと、確かに一部のマスメディアの人からは驕りを感じることがあります。数年前になりますが、ある人から「世論は俺たち(の新聞社)が作る」と面と向かって言われたときには唖然としました。特権意識、自意識の強い人って、いますよね。その典型を見た気がします。
 
ただ、最近では、全体を客観的に見渡すことのできる記者さんも増えてきたと思います。おそらく、マスメディアの将来を真剣に考えているのは、そういう現場の人たちのほうなのではないでしょうか。まだまだ少数派な気もしますが。
 
今回のNHKの企画には、個人的には素直に拍手を送りたいと思います。視聴率はふるわなかったようですし、そこで話される内容が(扱うテーマに対してさえ)ずれていたという点はありますが、マスメディア自身が「この問題に対して向き合う気持ちがある」という姿勢を示したことは喜ばしいことです。
 
また、この件に関してはさまざまな方がいろいろなところで意見を述べています(私もいくつか読んでみました)。こうした流れが一過性のものではなく、今後も続いてくれるといいですね。

RSSリーダーに入れておりまして、新着に気がつきましたので、読ませて頂きました。

マスメディアって言葉自体が、その世界で働いている人たち自身にも、分かっていないんじゃないでしょうか。
日本語に訳すと「大量伝達媒体」ですけど、その能力と価値は、既にインターネット社会へ移行しているはずと思います。

それに、ネット社会はメディア参加型なので、誰でも参加できて情報を投下できるのです。つまり、プロの書き手でなくても素人でも、十分に意義のある記事を書いている場合が多い。
このような情報は、コストが掛かっておりませんから、情報量の単価の下落につながります。

はっきり言いますと、マスメディアとインターネットの間にある競争は、単純化するとコストです。
タダの面白い記事がどっちに転がっているかだけです。
しかも、参加者が全員記者になれる社会が、インターネットだからね。
参加できる楽しみは、知的遊戯なんですよ。

だから、上からお仕着せのように与えられるメディアから、参加型に変わって来ているスキームを、見落としてるだけでしょう。
報道記者の特権なんか不要だし、彼らに払う給料のコストだって価値に見合わなくなりつつある。
でも、特権にまだしがみついているんですよ。

だから、あんな番組を作るんだと思う。
それを考えれば、NHKも、もう黄昏だし過去の遺物に近くなりつつあるね。
こんなお茶を濁した番組作るくらいですから、まあ、衰退産業認定だと思います。

本人

ぐりぐりももんがさん
コメント、ありがとうございます。
 
マスメディアという言葉自体が、すでに古いということでもありますね。
 
少なくとも娯楽という面ではテレビや新聞・雑誌などよりもインターネットのほうが勝っている気がしますし、報道という面ではテレビや新聞の報道よりも優れた記事がインターネット上に出現しつつあるという事実を、マスメディアの側にいる人たちがどのように感じているのか。そこが、今後に大きく影響しそうです。
 
おっしゃられている「コスト」は、とても重要な要素です。実際、テレビ局や新聞社は収益に苦しんでいます。このあたりの話はしだすととても長くなるので割愛しますが、コスト見合いという観点はこれからどんどんシビアになっていくでしょう。
 
良質なコンテンツならお金を出してもいい。そう思う人は数多くいると考えられますが、マスメディアの現状がそれに応えられているのか。それを自問自答し、客観的で正確な判断ができなければ商業的には淘汰されていくんでしょうね。
 
そうそう。文中の「参加できる楽しみ」。これ、コスト以上に重要かもしれません。人間にとって、コミュニケーションするという行為は絶対に無くすことのできないものです。あまりの単純比較で問題があるのを承知の上で言えば、一方通行のメディアが双方向のメディアに勝ることはできないような気がします。だからこそ、テレビや新聞・雑誌はインターネットとどのようにかかわっていくのかを考える必要があると思うんですよね。なんだかんだいいながらも、仕事として何かをウォッチする役割というのは無くならないと思いますし、テレビや新聞・雑誌には一定の影響力があるのですから。

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