テクノロジーに心も仕事も奪われそうな日々を綴ります。

僕たちは「人間らしさ」が180度変わる時代を生きているのかもしれない

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こんにちは。高校の時以来人間味がないと言われ続けてはや20年。コンピュータに比べればまだまだ人間臭い僕です。

最近テレビではカラオケで点数を競ったり、ピアノの演奏の正確さを競うといった競技を頻繁に見かけます。

ある人から見れば、機械のような演奏は人間味がないという評価を下すかもしれませんね。

でももう数年後には、正確さを競うことはいかにも人間らしい行為となるのではないかと、僕は思うわけです。

音楽でいうならば、音量が均一で、リズムに揺れがない演奏は機械的だとされてきました。

そして、それを目指す演奏家は音楽とは程遠い存在として扱われます。

しかし、機械の演奏に自由度が増え、人間のような揺れをプログラムして演奏できるようになりつつあります。

さらに、人工知能の発達によりいずれはリアルタイムで感情表現を盛り込んだ演奏なども可能になるでしょう。

そう、機械が人間らしさを手に入れつつあるのです。

そうなると、人間らしさとはいったいなんなのか、という疑問が湧いてきます。

人間とは不正確な存在です。

どれだけ訓練しても、同じ動作を行おうとしても100%の再現性は確保できません。

人間らしいとは、再現性が保証されず、ある基準に対して不正確であることといってもいいでしょう。

そうなると、冒頭に挙げた、音程を正確に保つことで減点を避け、感情表現を指示されたとおりに使うことで加点するといったカラオケバトルのような競技がいかにも人間らしい行為となるわけですね。

なぜなら、人間は不正確であるからこそ正確さを競うことができます。

基準に正確に動作し、再現性も確保できるのがコンピュータなので、正確さを競うも何も、どれも大差ないということで、コンピュータ同士では競技が成立しないのです。

その上コンピュータが揺れの表現を手に入れたら。

人間に残された競技要素はいかに機械の能力に近づくかということになりかねません。

コンピュータの発展により、コンピュータが知能を手に入れ、正確さの向こう側の表現を手に入れることが現実的になってきた今、正確さを競うということが、機械的ではなく人間的な行為になりうるという、価値観が180度変わる可能性が我々を待ち受けているのではないでしょうか。

これらのことから考えられるのは、コンピュータが人間のあらゆることを代替でき、人間の居場所がなくなるという心配は杞憂で、実際のところは人間は人間なりに居場所を見つけてしまうのではないかということです。

ある場面においては、人間とコンピュータが競うこともあるかもしれませんが、行き着くところ人間とコンピュータはそもそも違うもの。

価値観の転換を受け入れさえすればこれからも楽しくやっていけるんじゃないかという気がしています。

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