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商社マンの営業として33年間(うち海外生活21年間)、国内外で様々な体験をした。更に、アイデアマラソンのノートには、思いつきを書き続けて27年間、読者の参考になるエピソードや体験がたくさんある。今まで3年半、ITmediaのビジネスコラム「樋口健夫の笑うアイデア動かす発想」で毎週コラムを書き続けてきたが、私の体験や発想をさらに広く提供することが読者の参考になるはずと思い、ブログを開設することにした。一読されれば「読むワクチン」として、効果があるだろう。

緊急ブログ上程 第七弾 「ねむけおばけ」対策まとめ 幼稚園から国会までみな眠い 居眠り大国 日本

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幼稚園から国会までみな眠い 日本は居眠り大国なのか

「ねむけおばけ」シリーズも、もうすこしでまとめだ。
 眠気による経済的損失は、3兆5千億円!になるという。(2006年、広島大学人間科学部門 林光緒教授居眠り運転のメカニズムと予防から) これを世界規模で考えると、一体どれだけの損失が生じているだろうか!調べれば調べるほど、居眠りは非常に重大で深刻な問題だと分かる。居眠りの習慣の元凶は、教育のレベルからではないだろうか。

 教育における居眠りには二つの視点がある。「眠たい授業」と、「堪えられない湧き出る眠さ」である。教育の中の落ちこぼれは、居眠りによる理解の中断も一つの原因になっている。数学、英語などは、あるところで理解不能になると、それ以降ずっと理解不能になると本人は思ってしまう。

 眠たい授業をするなというのは簡単だが、終始「わっはっは」の授業をすることは難しい。教える側のきちんと教えたいという希望と、教わる側のちゃんと学びたいという意思を保つためには、創意と工夫が必要だろう。
 眠たくない授業の努力、そして生徒や学生本人たちの意思のベクトルが合い、更に、更に合理的に眠気を消す(『事前消眠』と私は名付けた)という15分睡眠の機会を設けて、教育効果を上げていくことが大切だと考える。(注意 事前消眠も完璧ではない)

 午後の授業での眠たさを「本人の強い意志があれば、そんなものはぶっ飛ばせるはず」とするのは、前述の体から湧き出るねむたさのことから、どう考えても間違いだ。いくら睡眠を十分に取っていても、本人の意思と離れたところでねむたさが生じているからだ。もちろん電子ゲームなどで、徹夜しているのは、論外となる。

 私自身の思い出でも、小学校の後半から中学、高校はいつも眠かった。今なら、毎日、15分間の消眠行動を自己強制的にどこかで取っていて、大部分の授業を救っただろう。もっともっと勉強できたはずだ。
 小学校でも中学校でも高校でも、15分を2時45分から3時まで取るだけでも、教育効率は間違いなく上がる。
 昔はエアコンが無かったから夏は猛烈に暑かった。暑いと眠かった。汗を一杯かきながら居眠っていた。今はエアコンがあるから、余計に気持ち良く居眠れる。

 教育以外のところでは、本人は居眠りしたくないという意思はもっと明確だ。車の運転や仕事では、誰も眠りたくない。ところがそれが生じるのは、これは現実として受け止めないと、「ねむけおばけ」を排除できない。

 眠気飛ばしには、飲物系やお薬系の対策もある。コーヒー、紅茶、ココア、煎茶、抹茶、チョコレート、各種の目覚ましドリンクなどがある。これらはやはり本質的な解決ではない。副次的に使用することだ。

 我が家では、息子たちの小学校、中学校の時代、同じテーブルで土曜日の午後は勉強をしていた。これを我が家では「円卓の学習」と名付けていた。
 家の食卓に、全員が自分の勉強道具を持って集まる。私も自分の仕事やアイデアマラソンのノートなどを持って、テーブルの4辺に座る。ただし、全員がそれぞれ新聞を丸めて、椅子の足に立てかけるところが違う。
 その前に、円卓の学習の基本ルールは、ここで学ぶ者はだれも眠くなると、15分間寝る権利を持っていることだ。テーブルの横に、せんべい布団と枕を一個置いて、勉強を始める。
 土曜日と日曜日の午後が多かったので、当然眠くなる。するとさっと手を上げて、
「ぼく15分寝る」
「OK」と、そのせんべい布団で横になる。15分きっかりに、まず起きろと言う代わりに、残りの誰かが、寝ている者の上にドカンと飛びかかり、枕を取り上げて叩いて起こす。当然ながら、起こされた者は怒って、カッカ来て、ばっちりと目を覚まし、顔を洗って、トイレに行って帰ってくると、チョコレートを一つ用意してある。こうして後、2時間は眠らずに勉強できる。
 15分昼寝を交互に取りつつ、勉強を進めるが、それでもまだ眠くなり、居眠りを開始すると、残りの3人は神経をとがらせて、足下に置いた丸めた新聞を音を立てないように掴んで、いねむっている一人の頭を思い切り叩くのだ。
 これは簡単ではない、カタッとでも小さな音を立てると目を覚ますので、全神経をとがらせて、他の3人は、下の新聞紙の棒を音もなく取り上げて、振り上げて叩くのだ。
 私も叩かれたことがあるが、何年も、やっている内に、だんだん勘が鋭くなり、ほとんど誰も叩くことができなくなってしまった。ほんのちょっとしたことで、
「おう、危ない、危ない」と、逃げられる。こうしてまたまた、あと2時間は眠らずに勉強できる。これはねむけおばけのゲーム化だった。

 私は現在、3つほどの大学で講師をしている。更に、アイデアマラソンの講義だけでは、あと数校で教えるが、講義を開始する時、
「みなさん、私の講義は、眠くなれば15分寝る権利を差し上げます。ただし、『15分寝ます!』と手を上げて寝てください。15分後に、隣の人が起こします。手を上げないで寝てたら、15分後に、『わっ』と背中で、起こします。そうすれば、ここにチョコレートがあります。これも一切れあげましょう。15分ていどを犠牲にしても、90分講義の75分を救うことが大切です」と、宣言することにしています。
 
 過去の私のほとんどの講義で、自己申請式であるが、ほどんど手を上げないで、学生たちは講義を聞いていてくれます。講義の内容も、眠るにはちょっと忙しないのかもしれない。
 大学の授業でずっと寝てしまうことは、時間と授業料の無駄だ。教師も、眠らせない講義をすることと、学生も、眠らずに聞く強い意志を持った上で、授業を進める必要がある。それでも眠くなれば、大学の教師は15分間程度の睡眠は許可すれば良いと思っている。15分の犠牲で、他の大部分の時間を守ることが大切だと思うからだ。

 面白いのは15分寝ても構わないとされると、かえって眠くなくなるのが人間のならいのようだ。
 
 私の大学時代の講義で印象的だったのは、国際法の教授だった。私はいつも一番前の一番真ん中の教壇の前に、座ることにしていたが、当時、眠らないように、昼に生協でカップのコーヒーを買って、講義に持ち込んでいた。
 講義が始まった直後、先生が、前のめりになって、
「君、それはコーヒーか。うれしいねえ。私の国際法の講義を、コーヒーを飲みながら聞いてくれるのは、君だけだ。素晴らしい」と、皮肉でなくて、約300名ほどの学生の前でほめられた。この一言で、私は一年間、この先生の講義は絶対に外さなかった。

 常識的には、「ねむけおばけ」防止の呪いは、必死に講義のノート取りをすることと、質問を考えることだ。「ねむけおばけ」に取り付かれるか、付かれないかは、ほんのちょっとした気持ちも関係している。前の晩、寝ていなくても、講義で眠くないこともある。

 そこが人間の不思議なことだ。ただ、大学の講義で、はっきりと言えることがあるのは、その講義と先生を慕っていれば眠くなる度合いが少ない。
 私は大学の時、先生とより親しくなれば、不思議と眠気が襲ってこない(襲う率が下がる)ことに気が付いた。そこで、週末などに、何とかかんとかお願いして、目指す気にいった先生がたの自宅を訪問することにしていた。
 自宅でくつろぐ先生と話をしたり、食事もごちそうになった。そうすると大学の講義で難しい説明を受けていても、妙に頭に入りやすいことが分かった。先生に本をもらったこともある。私は、この先生は良いと決めると、出かけていくことにしていた。
 
 大学の講義で、不意に非常な眠気が襲ってきたら、その場で2分でも3分でも寝る(マイクロスリープと呼ぶ)ことだ。そして、携帯の振動で起きて、背筋を立てて、両手をまっすぐに下に付き出し、
「ようし」と、口の中で号令を掛けると良い。ほんの少しはマシになるかもしれない。それでもまだ眠い場合は、思い切ってトイレに行くことだ。仕事でもこれは使える。

 小走りして、トイレに行って、急ぎ帰ってきて、授業を真剣に聞くことで、実質を取り戻すことが可能だ。


教訓 大学だから、まずは自分が勉強をしようと決めないと、始まらない。同じ、教室にいるなら、眠らないで聞いているのが望ましいが...。いずれにしても教育現場や仕事での事前消眠のコンセプトは非常に大切だと思う。

必要 居眠りを電子的に検知する装置の開発が必要だと思う。

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