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伝えるは「徳は得なり」

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これは「日本躾の会」の月刊「ふれあい」2017年2月号への寄稿の再掲です。

伝えるは「徳は得なり」

 日本躾の会編『しあわせに生きる』は、実に考えさせる本である。これを読むとほとんどの人が、もっともなことをしっかりと書いているな、と思うだろう。しかし、あまりできていないからこそ、こうした本が必要とされているのだ。では、どうすれば沢山の人が本書を実践するようになるか? 

昭和、平成を経て、社会は大きく変わった。どうせ私だけやったってと感じる社会的ジレンマは深まり、不信が不信を呼ぶ構造も広がっている。

 例えば、問合せ窓口にいじわる電話をするモンスターカスタマーの多くが高学歴のシニアであり、シニアをはじめとする周辺住人の反対で保育所不足になっている地域がいくつもある、など利他どころか自己中心や勝手な行動がシニア層に散見される。情報化が進んだいま、人生の先輩たちの「しあわせに生きる」的でない行状を若者は多く見聞きしているのだ。

 このあり様では、べき論や心がけだけでは効果はたかがしれている。社会心理学者の山岸俊男博士は、著書『日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点』で、モラル教育やアメとムチの限界を指摘し、また統治の論理でなく市場の論理で考えることを紹介している。 

 こうあるべきだからやれというのでなく、そうすれば自分のためになり幸せにつながると感じるように若者と接することだ。

 25年ぶりの広島カープのセリーグ優勝に貢献した「神ってる」とも言われた二十歳そこそこの鈴木誠也選手は、ヤンキースから復帰した黒田博樹投手に、試合中のガムについて、「イチローや松井選手はそうしているか?自分に損になることはやめろ。」と言われ、それからガムを止めたそうだ。これが例えば、神聖なグラウンドでガムなど野球道に反する、と言われたら、うるさい先輩やな、で終わっただろう。

 『しあわせに生きる』に記されたことも、伝え方に左右される。

 山岸博士は、「情けは人のためならず」と思える社会観を志向している。さらに言えば、人間性と社会性を踏まえた、「徳は得なり」とでもいう視点。つまり、こうすれば、自分の徳が高まり、自らの損は減り得になり、幸せ度が上がる、ということを感じるよう、コミュニケ―ションを図り、また自らの行動で示すことだ。

 徳ある行動をする(若者を含む)人々に敬意を表し、応援して、得になると他の人も思うようにしてやる。このような「徳は得なり」を実践する人が臨界量にまで増えれば、「しあわせに生きる」的な生き方はメジャーな存在となり、社会もそちらに向かうだろう。我々自らが行動し、野球でのイチローとまで行かずとも徳ある一人となり、その流れをつくろうではないか。

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