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橋本正徳の非営利な活動を報告します

『ボランタリー経済』と『インターネット』

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営利企業の人間としては、今流行っているような「Web2.0的なサービス」を「広告モデル以外は儲からない」と見ている。とはいえ、実際に儲かっているところもあるのは事実としてあるかもしれないが。なぜ「儲からない」と思っているかというと、今までの経験上「インターネットコンテンツは基本無料だろ」という気持ちがあるし、現にインターネットは「無料」が溢れている。そうなると、たくさんの無料ユーザを集めて、媒体力をつけ、「広告モデル」で勝負するか、または、「少量の収入」を積み上げて勝負するかになってくるのだろうと思う。もちろん、例外も多くあると思うが。

これまでの資本主義が基盤を置いてきた経済原理は、『マネタリー経済』(貨幣経済)と呼ばれるものですが、これに対して、いま、『ボランタリー経済』と呼ばれる経済原理が、影響力を強めてきているのです。

社会起業家になる方法』より

これは、『社会起業家になる方法』に掲載されている、シンクタンク・ソフィアバンク代表、多摩大学大学院教授の田坂広志さんへのインタビューの内容だ。ここからは、「営利」を離れ、「非営利」な活動を行っているものとしての考えを書いていく。

ボランタリー経済とは、『精神の満足』を目的として人々が行う経済活動のことです。例えば、家庭における家事や育児、老人介護。これは誰からもお金をもらわずに行っている活動ですから、ボランタリー経済です。また、地域の清掃や安全確保なども、同じ意味でボランタリー経済です。

この「利他的行動」が、人を人たらしめる行動だとしたら、「ボランタリー経済」は古代まで遡り、「マネタリー経済」よりもさらに、歴史が深いものとなる。「あって当たり前のこと」と言えるくらいのものだ。上記の引用部分の後で、田坂さんも、インタビューでそのようなことを言っている。

そして、このボランタリー経済が、いま、インターネット革命によって、その影響力を急速に増大させ、『社会における主要な経済活動』として復活してきた。なぜならインターネットの世界は、基本的にボランタリーな活動が中心だからです。例えば、分からないことがあれば、Q&Aサイトで聞けば、無料で教えてくれる。また、アマゾンの書評なども、ボランタリーな活動として書かれている。

(略)

そして、インターネット革命が生み出した、このボランタリー経済の潮流は、いまやインターネットの世界を超え、現実の世界にも影響を与え、急速に社会に広がり、浸透しているのです。

確かに、「インターネット」を比較的多く使っているだろう「プログラマ」「システムエンジニア」「Webデザイナ」の方々と接していると、その「ボランタリー」な精神を感じることが多々ある。且つ、「インターネット」という土壌で、加速している感じもある。「現実の世界にも影響を与え」ということであれば、例えば、「勉強会」というものが頻繁に行われ、その多くが「無料」だ。「ものすごい勢い」だ。これには、インフラの発達も関係があると思っている。

まだまだ、このような「ブログ」が流行る前に、福岡にて、IT関連のコミュニティを形成し、勉強会やオープンソース開発活動などを行っていた。2001年とか、2002年あたりのことだ。そのときは、「メーリングリスト」がインフラになっていて、そこで、コミュニケートしていた。その後、「はてなダイアリー」というブログが登場し、多くの人が、そこで、何かを発表したり、それにコメントをつけたり、トラックバックをつけたりと、Web上(インターネット上)でのコミュニケーションが活発になり、同時に「オフ会」のように、「勉強会」というものが流行り出したかのように感じている。さらに、最近では、「Twitter」が現れ、さらに加速したと思う。「IT勉強会カレンダー」は、勉強会で溢れかえっている。この様子を見て、ときには運営・参加し、直感だが、「インフラも関係しているなぁ・・・」と思う。この動きが、もっと、非ITの生活者に波及すると、ボランタリー経済はさらに活発になる。まだまだ遠いかもしれないが。

マネタリー経済とボランタリー経済という視点からみると、社会的起業家と企業は、反対の経済原理から、互いに近づき合っているのです。従って、近い将来、この二つは融合していくでしょう。では、この融合の結果、どのような企業の形態が生まれてくるのか。それがまさに『社会的企業』(Social Enterprise)と呼ばれるものです。

「非営利」と「営利」の補完作用」でも同じようなことを書いたが、「マネタリー経済」と「ボランタリー経済」は、相互補完するものであると思っている。はやり、「マネー」が無いとやりたがらないことはある。例えば、オープンソースのドキュメンテーションなど、そこに「マネー」が無いと、なかなか前進しない。このような「社会の一部」だけではなく、「社会の全体」においても、同じく、「マネー」が、「ボランタリー」を後ろ支えしているシーンがいくつもある。そこに流れる「マネー」を「汚い」とみるか、「奇麗」とみるかは、個人の意識にも関わってくると思うが、僕は、「この上なく奇麗」だと思う。この、「マネー」と「ボランタリー」のバランスの境界点が、『NPO』の存在、ひいては『社会的企業』の存在になるのだろうなぁと、浅く考える。

仏教思想を持つ日本では、『利他』ということがよく語られます。『自利』、すなわち、自分の利益のためではなく、『利他』、他人の幸せのためにという精神です。こうした、世の中の人が喜んでくれるために、という日本人の精神性に象徴されるように、日本においては、ボランタリー文化と呼ぶべきものが根本にありました。

(略)

世界中の資本主義が大きな壁に突き当たったこの時代にこそ、日本という国に本来あったボランタリー文化が、再び見直されるようになるでしょう。

最近の「ボランタリー文化」を感じさせてくれる事例としては、「派遣村」があると思う。「派遣村」については、色々と意見等あるかもしれないが、あれも、ボランタリー経済の出来事だし、世の中全体の為になったかどうかは簡単には分からないが、短期的にみると、「今そこにいる人」の為にはなったと思う。僕にはなかなか出来ない規模の「利他的行動」だ。また、この「利他的行動」の中身は、「『称賛を得たいという気持ち』にある」という旨の話を、Seasar Conference 2009 White にて、Seasarファウンデーション代表理事の栗原さんが発表していた。「オープンソースコミュニティ」というフィールドでの話だったが、僕には、そういう関連性を感じた。詳しくは、もしもう一度発表の機会があれば、足を運び、聞いていただきたい。

話は、スタートに戻るが、「Web2.0的なサービス」は儲からないと思う。もっと、詳しく書くと「Web2.0的なサービス」は、マネー経済では、儲からないと思う。なので、広告モデルなり、ユーザ数を増やして薄利多売をしていかないといけないが、それは、「Web2.0的なサービス」がボランタリー経済のものだからだと思う。誰かに「良かった〜」と思ってもらうために展開されているようなサービスなのだ(もちの論、例外もたくさんある)。『利他』で多くの世の中の人が喜んでくれるということは、ある意味、ボランタリー経済の中では、儲かっているのだ。

以前にも、「「非営利」を考える」で書いたが、今は、「平和」「幸せ」を求めての手段を巡って、「仕事」「お金」の価値などがグラグラ動いている時期なのかもしれない。みんなが違っていても、僕は、そうだろうと思う。そして、「不況」「不況」と言われている「今」は、その大きな歪みに入っている段階なのかもしれない。

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参照:
「非営利」と「営利」の補完作用
「非営利」を考える
社会的企業について


写真:Lee Jordan

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