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英語力が大事か?仕事が出来ることが大事か?

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英語が出来るけど仕事が出来ない人」と、「仕事が出来るけど英語が出来ない人」のどちらが本当に会社の役に立っているのか?どちらが出世するのか?
若かりし頃、究極の選択肢で議論のための議論をしていたことがある。
「帰国子女だけど仕事が出来ない人」が本社や本社から来た外国人上司に受けがいいのを見ると、「英語は下手だけど会社を支えているのは俺たちだ」と思っているグループにとっては納得がいかない。英語力を武器に職を転々とする人に対しては「あいつは外資系ジゴロだから」と相手にしない。
日本の通常の教育だけを受けて英語を勉強したものにとって、英語力(特に会話力)は鬼門だ。そういう中、「話せる中味を持っていたら拙い英語でも聞いてもらえるし説得力もある」という先輩の言葉には、説得力があった。

アメリカに留学して英語を話すことが少々うまくなって、最初はその上達に喜んでいても、やっぱり「話せる中味」があるかどうかがネックになった。あぁ、昔先輩に言われたことは本当だったなぁと思った。

ビジネスを学びにいったはずが、日本の文化の紹介、アメリカの文化の理解に範囲が広がっていく。ビジネスも最後は全人格をかけて、日本を理解してもらい、相手の国を理解することに行き着く。Identityの勝負で、ますます「話せる中味」をもつことだ。

ただそうなってくると語学が達者ということは、言葉を通して、ましてやその国に長く住んでいたのであればその生活を通して、その国の考え方、感じ方をより理解しているということなんだなぁと感じるようになった。

中国で仕事をしていた時には特に痛感した。
当時私たちは、「日本語を話せるが経験のない営業」を採用するのか、「経験豊富だけど中国語しか話せない営業」を採用するのかと悩み、言葉だけ出来てもしようがないだろうと、後者を積極的に採用することにした。(まるで若かりし頃の議論のようだった)

が、残念なことに、その人は「中国語しか話せず、かつ売り上げもあがらない人」に変わってしまった。

言葉が全く話せないということは、異なる文化・異なる考え方をもつ我々との溝を埋める手段を全くもたないということに等しかった。
営業は顧客と自社の接点を見つける仕事だ。社内に対しても営業活動を行わなければ、顧客に対して魅力的な取引を提案できない。
申し訳なかったが当時の私たちには、通訳を介しても、彼が言わんとすること、しようとしていることを理解できずに彼の希望をかなえてあげることがなかなか出来なかった。彼は彼で私たちを説得するうまい方法を全く考え付かずにいらいらしている。お互い不幸であった。
とにかく基本的なコミュニケーションがとれないと信頼関係も構築できず事が進まないのだ。結果、「日本語を話せる経験のない営業」のほうが、営業成績がよかった。

IBMの椎名元社長がSell IBM in Japan, Sell Japan in IBMとよく言っていたが、まさしくそのとおりだなぁ。

現在私は的確で効果的で効率的な「ビジネスコミュニケーション」を提供する仕事を本業としている。
翻訳の仕事、特に通訳の仕事を引き受けると、このことを思い出す。訳さなければいけないのは言葉なのか、越えなければいけないハードルは何かをよく考えさせられるのだ

<今日のオリンピックへの道>

自転車通勤:往復14キロ

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