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商社マンの営業として33年間(うち海外生活21年間)、国内外で様々な体験をした。更に、アイデアマラソンのノートには、思いつきを書き続けて27年間、読者の参考になるエピソードや体験がたくさんある。今まで3年半、ITmediaのビジネスコラム「樋口健夫の笑うアイデア動かす発想」で毎週コラムを書き続けてきたが、私の体験や発想をさらに広く提供することが読者の参考になるはずと思い、ブログを開設することにした。一読されれば「読むワクチン」として、効果があるだろう。

若者よ海外に雄飛せよ その10 留学中の仕事体験

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若者よ海外に雄飛せよ その10 留学中の仕事体験

 
シドニーに到着して、大学に入学予定の日までかなりの期間を空けていた。それは語学に慣れるためであった。そのまますぐに大学の授業を受け始めても、いくら日本で英語を学んできていても、授業の英語を聞き取ることは、難しかった。その意味でも、仕事をしながら日常の英語会話を通じて、オーストラリア英語に慣れる必要があった。


下宿していた家の主人が、私のために見つけてくれた職場は、一番近くの鉄道の駅の前の百貨店だった。
彼は私を連れて就職の面談に行ってくれて、私は無事に就職できた。その百貨店のどこで働くかが決まったのは、私一人で初めて通勤した日だ。

 

それはスーパーマーケットの売場だった。仕事は倉庫から商品を搬入し、棚に補充していく。足らない商品を見つける。棚の商品を売られやすいように並び替える。売場でのお客さんの質問に答えて、売られている場所に案内し、お勘定場での紙袋に詰め込んで、お客の車まで運ぶ仕事もあった。一週間ほどスーパーマーケットで働いた時、重い商品の搬入のキャリーを引っ張っていて、私は自分の筋肉が鍛えられていくのを感じた。


さらに売場でお客から質問されることも多かった。これはまさに会話の練習になった。さらにスーパーマーケットの一角にサンドイッチ売場があったので、昼食はそこでサンドイッチを買っていたが、すでに顔見知りになっている従業員用は安く大きかった。当時は食欲の塊のようなものだったから、ありがたかった。さらに驚いたのは、お客の買い物の荷物を百貨店の駐車場まで運ぶと、ときどきお礼にチップをいただくことだった。これは素晴らしい計算外の収入になった。


体力は付く、お腹いっぱい食べられる、お客と話すことも多い、ときどきチップだったら、これは最高だと思った矢先、玩具売場に転勤になった。玩具売場もおもしろく、私の現在のおもちゃ好きなのも、この時代の影響を受けている。また裏の倉庫で、こどもの三輪車やスクーターを組み立てていたのも懐かしい。


おもちゃ売場で、ある家族が買い物をしているとき、私にお母さんが「こんにちわ」と上手な日本語で、挨拶をしてきた。
話をしたら、オーストラリアの商社で日本に何年間か駐在して最近帰ってきたという。百貨店の近所に住んでいるとのことだった。

次に会った時に、その奥さんが、「うちの主人が、自分の会社(オーストラリアの商社)で働かないかと言っていたわ。どう?」と、言われて私は、転職して、給料が上がった。働くことと、大学での授業を一緒にやっていくのは、大変なことだった。車があってこその生活だった。


毎日くたくたになりながらも、非常に充実していた。そして、驚いたことに、これで学費を支払い、下宿代を払い、車の購入で下宿先の主人に借りたお金を返しながら、ほんの少しずつでも貯金ができていた。

私が帰国したのは、2年をちょっとすぎた時点で、当時、日本で大学紛争の嵐が吹いていた。日本で休学していた大阪外大の学科長から、「早く帰国した方がよいよ。紛争で大学がなくなるかもしれない」と連絡がきた。私は安定した留学を捨てて、乗ってきた船が再びオーストラリアに立ち寄るのをまって、帰国して復学した。復学して、1週間で、全国に吹きすさんでいた大学紛争の嵐が大阪外大にもおよび、大学は封鎖状態となった。私は学友と自主勉強を始めた。

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