オルタナティブ・ブログ > 読むBizワクチン ~一読すれば身に付く体験、防げる危険~ >

商社マンの営業として33年間(うち海外生活21年間)、国内外で様々な体験をした。更に、アイデアマラソンのノートには、思いつきを書き続けて27年間、読者の参考になるエピソードや体験がたくさんある。今まで3年半、ITmediaのビジネスコラム「樋口健夫の笑うアイデア動かす発想」で毎週コラムを書き続けてきたが、私の体験や発想をさらに広く提供することが読者の参考になるはずと思い、ブログを開設することにした。一読されれば「読むワクチン」として、効果があるだろう。

恐怖の餓死猫の恨み

»
世界不思議体験 恐怖の餓死猫親子の恨み

 日本に休暇で出かけて、ヨメサンと子供たちは日本にしばらく残り、私一人が先にサウジアラビアに帰国した。
 バハレーンで一泊して、サウジアラビアの首都リヤドに到着したのが次の日の朝だった。自宅に到着したのは昼前だった。家族のいない自宅は寂しい。

 私は極めて用心深いから、自宅には電子警報装置が外の扉だけでなく、家の階段から2階の寝室まで3段階で装着していた。20年間の海外生活で、泥棒が入られたことは一度もない。

 家の中の6か所の電子警報を解除して、ミネラルウォーターでも飲もうと台所に行って、冷蔵庫の扉を開けようとしたとき、微かに何か嫌な臭いがした。
「あれっ」と、周りを見渡したが何もない。

 慎重に臭いを嗅いでみると、地上から高さ1.5メートルほどの空中に、数センチほどの臭いの層がある。

 私は臭いの元をたどっていった。それは勝手口の鍵穴から来ていた。勝手口を開けて、焼けつく外の左側に倉庫にしている扉があった。そこには日本食を保存してある。日本に出発する前に、きちんと閉じていったことをおぼえている。

 倉庫の扉は閉まっていた。外から鍵も掛けていた。まさかと思いながら、倉庫の鍵を捻って、扉を開けたら、そこに猫のミイラがあった。メス猫で赤ちゃん猫が3匹お乳を吸っている状態で、一緒に死んでいた。

 恐ろしいのは、母猫はいつ開けられるか判らない扉に向かって、牙をむき出して、口を開け、恐ろしい形相で睨んでいたことだった。
 私が1カ月前に日本に帰国する時に、家の扉を全部閉めて行った時、すでに中で猫が子供を産んでいたのだろう。それを知らずに閉めてしまった。猫は缶詰を開けられるわけでなく、扉の内側は必死に削った後があった。哀れなのは、猫の死骸の横に、ネズミの尻尾が2本落ちていたことだ。ネズミは猫に丸々食べられてしまったようだ。

 帰国直後に最悪のものを見て、気分悪いままに、私は床掃除のモップの反対側で、ミイラになったカリカリの猫をつついたら、猫の死体から何千匹ものウジ虫がワーと四方八方に動き始めて、これには仰天した。

 私は近所のスーパーに飛んでいき、ゴミ用の黒いビニール袋、床磨き洗剤、漂白殺菌剤、殺虫剤などを買って、家に持ち帰った。
 まずは、猫の死骸とネズミの尻尾を排除。顔に手ぬぐいを巻いて、中の日本食を全部取り出して、倉庫全体に殺虫剤を撒き散らし、ホースで床のウジ虫の死骸を全部洗い落し、床に洗剤を擦って、漂白剤を撒いて、更に擦って、掃除した。跡形もないようにするのに4時間も掛った。時差で頭がおかしいのに、更にこんな怖い目に遭って、最悪だった。

 食欲もなくなり、夕食は何を食べたか覚えていない。早くベッドに入って寝てしまった。時差のためか、夜中の2時に目が覚めた。のどがカラカラだった。

 私は台所に降りていって、電気も点けずに、手さぐりで、夕方造っておいた麦茶のボトルを冷蔵庫から取り出した。
 その時だった。かすかに私はニャーと猫の鳴くのを聞いたのだ。←目撃、証言者無し。

 私は体中ぞーっとした。それでも、台所の勝手口へ向かった。そこにあった懐中電灯を握って、勝手口の扉を開けて、左側の倉庫の扉をゆっくりと開けてみると、そこに黒い猫がいた。寝ぼけた私は仰天したが、良く見ると、猫の死骸の後が、倉庫のタイルに染みついていて、洗って濡れている時にはわからなかったが、乾いたら明確に猫のかたちを見せていた。

 私はそれ以来、その倉庫を開かずの倉庫にした。確かに猫の声が聞こえた。

教訓 猫の親子には悪いことをした。私が十分に調べてから閉めればよかった。

Comment(0)