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【書籍紹介】『フェイクニュースの見分け方』烏賀陽弘道

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フェイクニュースは昔からあった。それは「デマ」と呼ばれたり、単に「ウソ」と呼ばれたりした。本物の情報に、偽情報を紛れ込ませる手法も昔からあった。歴史小説の多くは(フィクションだと断った上で)、歴史的事実に想像を追加することで成り立っているが、本気で信じている人もいる。

昔からあるのに、近年「フェイクニュース」が特に問題になっているのは、「拡散力」と「権威の失墜」という2つの理由がある。

「拡散力」は、SNSに代表される伝達システムで、偽情報を偽のまま拡散させることが可能になったことである。メディアが高価だった時代、個人が数日のうちに数万人に情報を届けることはほとんど不可能だった。編集者によるチェックもある程度信用できた。現在では、どのような情報もノーチェックで簡単に広まる可能性がある。

「権威の失墜」は、新聞に代表される既存メディアが信用されなくなったことだ。「新聞に載った」ということは一種の権威であり、それだけで信頼された時代があった。もちろん、昔から怪しいメディアはたくさんあったが、「怪しいメディア」というポジションが明確であり、最初から信用される情報ではなかった。東京スポーツ(東スポ)が、名誉毀損で訴えられたとき、裁判で「東スポの記事を信用する人間はいない」と自ら主張したくらいである(この時は裁判官に「無責任だ」たしなめられたらしい)。

1971年、小説家の庄司薫は長編評論『狼なんか怖くない』で、これから人間には扱いきれないくらい大量の情報が爆発的に増えるだろうと予言した。さらに、情報がいくら増えても社会の価値基準がしっかりしていれば、情報洪水は食い止められるとしつつ、「その頼みとする価値基準がその絶対性を失ってひたすら多元化への方向をたどっているのだ」と嘆き、「いわゆる青春期に若者は必ず成熟してオトナにならねばならない、などと言う固定観念は通用しなくなる」と続けている。

インターネットではどんな変な意見でも発見できる。学会の定説も、個人の妄想も、同じレベルで並ぶ。検索エンジンは権威のある情報を優先しようとしているが、実際のところ「多くの人が信じている」ことを指標にしているに過ぎない。検索エンジンをだます仕組みも研究されている。専門家の数は少ないので、権威ある言説が埋もれてしまうことも多い。あまりにばかばかしい意見は、専門家が反論する気すらなくしてしまい、インターネットに流れない。その結果、妄想が相対的に目立ってしまう。庄司薫がこういう状態を予測していたかどうかは分からないが、結果的に「価値基準の多元化」が一気に進んだ。

今回紹介する書籍『フェイクニュースの見分け方』は、大量に流れてくる真偽不詳のニュースから、ウソを見抜く力を付けるための教科書である。本書を読めば絶対だまされないということはないが、だまされる率は確実に減るだろう。

著者の烏賀陽(うがや)氏は、朝日新聞社に新卒入社して、名古屋本社社会部、週刊「AERA」編集部を経て、現在はフリーで活動している現役のジャーナリストである。烏賀陽氏は「(フェイクニュースの台頭は)民主社会としては大変不幸なことです」と言う(「はじめに」より)。先の米国大統領選挙や英国のEU離脱投票ではフェイクニュースが投票結果を左右したという。有権者が、自分の権利を誰に信託するか適切に判断できないようでは、民主主義は成り立たない。単なる笑い話では済まないのである。

本書が「教科書」として優れているのは、豊富な例題と、適切な見出し、章末のまとめ、この3点である。特に、見出しはよくできている。一度通読すれば、あとは見出しを眺めるだけで復習になる。しかも、各章の末尾には「本章のまとめ」としてポイントが列挙してある。分かっていても、ついだまされそうになることもあるが、おかしいと思ったら本書の目次と「本章のまとめ」を見て思い出したい。

例題の選び方も適切である。多くの人が知っている説について、事実をベースに考察している。フェイクニュースはネットだけではなく、新聞やテレビなど、既存メディアにも存在する。公開された情報から事実だけを抜き出す手法は、これから起きる事件にも応用できるだろう。

統計や、中学卒業程度科学知識があれば代替医療やフードファディズムのウソを見分けることもできるだろう。「代替医療を支持する根拠は私の経験です」などとと、失笑するような意見を真面目に主張する人も減るはずだ(そうあって欲しい)。

もっとも、最小限の国語力は身に付けておいて欲しい。たとえば例題の扱いについて、一部の読者が混乱しているらしい。たとえば本書では「日本会議は黒幕か」では、日本会議の安倍政権関与説を否定し、「安倍政権は言論弾圧をしたのか」では安倍政権のメディア介入を否定している。それを読んで「ウガヤは安倍政権シンパなのか」と言った人がいるという。「安倍政権は言論弾圧をしていない」ことと、「安倍政権支持」とは何の関係もないと思うが、なぜか混同する人がいるらしい。こういうミスリードは本書の問題ではなく、読者のリテラシーの問題である。

このような優れた教科書が登場したことは、フェイクニュースであふれる世の中で失敗することを、いくらかでも減らしてくれるだろう。そう願いたい。


まとめ

  • フェイクニュースの見分け方』は、フェイクニュースにだまされない力を付ける教科書として優れている。
  • 本書の内容を復習するには、見出しと、各章のまとめが役立つ。
  • 本書の応用として、統計と科学的な知識を身に付けることで、代替医療やフードファディズムのウソも識別できるかもしれない。
  • 本書を理解し、実践するための前提として、最小限の国語力が必要である。



フェイクニュースの見分け方 (新潮新書)

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