オルタナティブ・ブログ > 平凡でもフルーツでもなく、、、 >

感覚人間の思いつき、、、気になった記事、、、雑記等

未知なる感染症と「知ったこっちゃない」が組み合わさった時の『文明崩壊リスク』

»

■専用機で帰国した人の「知ったこっちゃない」

人類の命を最も奪って来たもの、それは戦争や自然災害ではなく、感染爆発(パンデミック)だとBS1スペシャル 「ウイルスVS人類~未知なる敵と闘うために~」で紹介されていたのをご覧になった方も多いかと思います。

ちなみに番組では以下の数字を紹介していました。

  • 14世紀 ペストによる死者:1億人
  • 16世紀 スペインによるインカ制服時の感染症による死者:5600万人
  • 1918年 スペイン風邪:全世界で8億人が感染、死者は4000万人
  • 1957年 アジア風邪による死者:200万人
  • 1997年 鳥インフルエンザ(H5N1)による死者:6人
  • 2009~2010年 新型インフルエンザ(H1N1)豚インフルエンザに由来 死者約1万9000人

ジャレドダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」を読んだ方であれば、病原菌の威力がどれだけ凄いかはご存じのはず。

ウイルスが文明を滅ぼしたこともある歴史を考えるならば、新型コロナウイルスは未知のウイルスで人類は免疫をまだ持っていない状態というのは、とてもリスクが高い状態と素人ながらに感ずる訳ですが...

武漢から専用機で帰国した人で検査を拒否した人の気持ちを私は理解できないのですが、自由意志というよりはさまざまな影響など「知ったこっちゃない」ということだったのだろうと推測します。

■感染リスクが明確な場所に通い続ける人の「知ったこっちゃない」

同番組において、政府の専門家会議のメンバーでもある押谷教授はこう指摘しています。

野外の活動のリスクは少ない、ただし、ランニングはそういう意味ではリスクは無いかもしれないけれども、ランニングステーションの着替えの場所はリスクがあるかもしれない。

どこが危なくて、どこが安全なのが合理的に整理することによって不安をひとつひとつ取り除いていく。

だけれども、どうしてもダメなところ。どうしても制限しないとこのウイルスの拡散を絶対に防げないと判断されたところは残念ながらかなりの制限をしなくてはならない。

野外での活動のリスクは少ないとのことですが、どうして人間はこんな風に集まってしまうのでしょうかね?

IMG_3849.jpg

IMG_3854.jpg

また、野外で単独でランニングする分にはリスクが無いと報道されているにも関わらず、わざわざ感染リスクのあるジムに通ってランニングをする人たちは何を考えているのか、私には理解しがたいものがあります。

IMG_3851.jpg

IMG_3868.jpg

自分だけは大丈夫と考えての行動かと思いますが、ある意味自分以外のことは「知ったこっちゃない」という感覚のなせる技なのか...

■感染させるリスクを持っている人たちの「知ったこっちゃない」

新型コロナの報道が本格化したあたりの報道で、中国国内の様子として、「コロナのことは知っているけどもうチケットも買ったのでキャンセルはしない」的なインタビュー映像をみて、たまったものではないな...と感じたのを覚えています。

あろうことか、国内では、新型コロナウイルスの感染が確認された男性が複数の飲食店を訪れていたことに多くの人が驚いたと思います。

さらに、米国や欧州では、高齢者に比べると重症化の恐れが少ないとされる若者が外出禁止や制限を守らず、パーティーを開くなどの事例が続出しているようです。

マイアミの例では「コロナがうつったら、うつった時だ。パーティーをやめるつもりはない」というコメントが紹介されていました。

WHOは若者に向けて、自分が無事でも「あなたたちがどこに行くかが、他の人の生死を決める可能性もある」とメッセージを送ってはいるものの、当人たちにとってはこちらもやはり「知ったこっちゃない」なのかもしれません。

■最後の一本まで木を伐採したイースター島民の「知ったこっちゃない」

『とてつもない失敗の世界史』という書籍があります。

その中で、「やみくもに環境を変化させたつけ」ということで、最後の一本まで木を伐採したイースター島の例が紹介されています。

ラバ・ヌイと呼ばれる、ポリネシア人の文化レベルは低かった訳ではなく、野蛮でもありませんでした。「この人たちは進歩している」というときに私たちが思うい浮かべる何もかもがあったそうです。

ですが、地形や気候、そして小さな孤島であることなどの要因を踏まえると、森林を伐採しつくし、木を切り倒したら、もう代わりが生えてこないことに気づきもしなかったのが悲劇でした。

ふたたび、ジャレドダイヤモンドは「文明崩壊──滅亡と存在の命運を分けるもの」でこう問いかけました。

「最後のヤシの木を切り倒したイースター島民は、その木を切りながら何と言ったのだろう?」

この問いに、『とてつもない失敗の世界史』の著者である、トム・フィリップスはこんな風に書いています。

これはなかなか手ごわい質問で、答えを出すのは難しい。どうせポリネシア版の「あとは野となれ山となれ」だったのだろう。

だがおそらく、もっと手ごわい問いはこうかもしれない。最後から二番目、三番目、四番目の木を切り倒したイースター島民はいったい何を思っていたのだろう? 人類の歴史にならえば、かなりのいい線で、こんなことを思っていただろうと察しがつく。「知ったこっちゃない」だ。

■未知なる感染症と「知ったこっちゃない」が組み合わさった時の『文明崩壊リスク』

核兵器は勿論危険な存在ですが、人類の歴史において多数の人命を奪ってきた実績においては、感染爆発のほうが上手です。

人類の歴史においては、破壊され、消滅した文化が幾つもあります。

その一例としてイースター島のことを紹介しましたが、人類を滅亡に導くのは、核兵器や感染症という事象ではなく、人間の「知ったこっちゃない」が組み合わさった時ではないか?と感じる今日この頃です。

Comment(0)