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知的好奇心を持った親として子供に接することの重要性

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ブログはそれぞれに個性があるもので当然そこには書き手のパーソナリティが色濃く反映します。オルタナティブブログには200名以上のブロガーの方が登録されている訳ですが、わたしのキャラクターの一部として「学歴無し、社員経験無し」というのはやはり大きな特徴。

ちなみにわたしの年代(昭和40年の1月生まれ)ですと、約4分の1が大学進学をしていた世代で、今は大学全入時代といいつつ、50%程度から先日ご紹介したように2004年度日本における大学進学率は通信制大学・放送大学および専修学校を含めた場合75.9%という状態。

Twiiterのほうに「内閣府の調査結果から垣間見る、親の学歴により異なる進学期待」このエントリを紹介するために「今日は大学進学しなかった親(自分)が子供の大学進学のアドバイス時に思うことについて書いてみました」という補足を付け足したのですが、そこに

経験がなくノウハウの無い親がどうやって指導するんだろ

というまさにわたしの悩みそのままの反応をいただきまして、ほんとこれは指導される子供の側としても本音だと思います。

そんな中で自分は、たとえばこちらに紹介したように自分のソーシャルネットワークの中に息子を投入してみるという実験(!?)していたり、こんなエントリを書きながらいろいろ思案していたりする訳ですが、基本的な学力の面では塾へ頼る比重が大きくなりつつも、基本的なところで高等教育をどういうところで必要と感じる家庭環境があるか?が重要な気がしています。

リチャード・E. ニスベット氏の「頭のでき」41頁に「家庭環境の重要性を証明する実験」としてこんな記述があります。

最も重要な発見が、SES(社会経済的地位)の高い親の養子になった子供は、SESの低い親の養子になった子供よりIQが平均12ポイント高かったことだ。

中略

したがって、社会階級の高い環境で育てられると、社会階級の低い環境で育てられるよりもIQがはるかに高くなることが示されたことになす。

こちらの「頭のでき」においては、用語を

  • 「貧困層」常に失業している人、絶えず生活保護を受けている人、非熟練労働者を指す。
  • 「労働者階級」機械工などの熟練労働者や半熟練労働者、およびサービス行や下位の事務職で働いている人を指す。

↑これら2つの階級をひとつにまとめ、SESの低い人と呼び、

  • 「中流階級」高位の事務職、教育職、監督および下位管理職を指す。
  • 「上層中流階級」専門職および高位管理職

↑これら2つの階級をひとつにまとめ、SESの高い人と呼ぶと定義しています。

それでは具体的に指摘されている社会階級における育児の差、違いを見ていくことにしましょう。

IQ向上を妨げる生物学的な環境要因として指摘されているのはまずこちら

  • 栄養状態
  • 煩雑に家を変わる

認知文化の差としてカンザス大学の心理学者の実験結果として示されているのは以下のような例、

  • SESが高い親は、子供がまだベビーベッドに寝ているうちから、専門職や高位の管理職に必要な探求心や分析力が育つよう仕向ける、一方SESの低い人たちは、医者やCEOを育てようとはしない。結果として労働者として従順さと忠実さを備え、批判したり値踏みしたりしないで雇用主の役に立つような子供に育てる。
  • 専門職の親は、労働者階級の親より子供に多く話しかけ、世の中について、また自分の経験や感情についてそのつど説明し、子供の希望や興味を訪ねる。労働者階級の親は子供に話しかけることが少なく、子供の好奇心を刺激しないような要求を口に出すことが多い
  • 専門職の家族は夕食の席で子供も会話に加え、話し合っている問題に子供も参加させようとして、同時に様々な言葉を聞かせる。労働者階級の親は、子供は内容に興味を持たない、また何の役にも立たないと決めつけて話を進めがちだ。
  • 専門職の親は、1回叱るごとに6回励ます。労働者階級の親は1回叱るごとに2回しか励まさない

本を読む事が大事なのは誰しも理解しているところだと思いますが、社会階層の違いにおいて読書やその他の視点においても大きな差があるようです。

  • 中流階級の子供は学校のための準備がよくできている。本から情報を得るやり方を知っていて、読書を楽しみ、答えがわかっている質問ー質問者が答えを知っているような質問ーに答える方法を身につけている。そうした子供は低学年で苦労しない。さらに、分析や評価が必要となる高学年の準備も十分にできている。
  • これに対し、労働者階級の家庭においても読書は行われるのだが、本の内容と外の世界を結びつけることはあまり努力が払われないと指摘されており、3歳頃を過ぎると、読み手との会話は奨励されず、代わりに「話の聞き方を身につけなさい」と言われる。子供は注意して話しを聞くものだと教えられ、解説や質問は邪魔だと見なされる。
  • 中流階級の家族の活動は言葉を使って進められる。労働者の子供は細かい指示を受けず、ただ単に「こうしろ、違うこうだ」と言われるだけ
  • 中流階級の家族が新しいゲームを始めるときには、説明書を声に出して読み、それに解説を加える。労働者階級の家族は、遊び方の見当をつけてとにかく遊びはじめ、やっているうちにルールをでっちあげていく。
  • 中流階級の母親はレシピをもとに料理をを作り、書いてある内容を使う材料、そして料理の手順とを結びつけられるようにする…

などなど、さまざまな調査結果が示されているのですが、なぜわたしが今日のようなエントリを書いているかというと、パソコンがこれだけ仕事を処理することろに介在するようになって、技術の置き換えが可能になっている社会においては、その仕事の仕方(お金の稼ぎ方)が2~3年で激変することが容易に想像され、そういった環境変化の中においても社会的にそれほど不安定な状態にならずに生活していこうとおもったら、やはり「頭」を使える仕事ができるように自分(子供)を育てておくべきだろうな…と思うから。(熟練技術について前向きに考えている事もあるのですが今日はそこには触れないでおきます)

紹介した書籍は海外モノなので、そのまま手法を持ち込んでも上手く機能しない部分もあるはずですが、自分が思うに、親の単なる学歴ではなく問題なのは「知的好奇心を持った親として子供に接することの重要性」なのではないかと思った次第。

そして、勉強や知的活動を奨励する環境が身の回りにあるか?、それが報われることがどういう事なのかを感じる環境があるかどうかは、自分の体験を考えても明白です。

またこれに関したエントリは引き続き書いていこうと思うのですが、やはり自分の人生選択においても書籍が重要な役割を果たしていたことを思い出しつつ、

思案だけではダメなんですが、家の大きさもどんどんコンパクトになってしまい、書斎とか本がどか~~っと置いてあるような家に都内で住める人はそれこそSES高い人たちなはずで、こういう家の中の環境含め、イマドキの親が子供にしてあげられる事についてまずは思考してみることにします。

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