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今度は図書館で情報収集したから閲覧制限ですか…

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元厚生事務次官宅への連続襲撃事件で容疑者が図書館を使って情報収集したという事を受けて、閲覧制限などの措置が取られたというニュースが流れていましたね。

この措置については同じ図書館関係者からも過度な制限を行ってしまうと、情報開示の観点から問題ありでは?という意見もあるようで安心したのですが、どうも最近の世の中、消去法的もしくはリセット型の対処が多いような気がします。

  • O-157が心配だから小学校の行事で焼きそばとか餅つきを止めてしまう
  • 遊具が壊れてケガしたから撤去
  • 父兄からのクレームで各種行事が中止
  • 秋葉原事件からナイフの販売制限強化
  • こんにゃくゼリーの問題
  • 六一0ハップの製造・販売中止

一般企業が提供するサービスにおいて、サービスグレードを維持するためのコストが結果的に収益を生まないのであればその提供がストップしてしまうのは致し方ないと諦めるしかないかもしれません。

六一0ハップの販売中止はちょっと同列に扱うのはまずいかもしれませんが、行政サービスや教育現場で発生したトラブルへの対処として、何でもかんでもとりあえず中止にしてしまい、結果的にさまざまな行事やサービスなどが姿を消していくのって本当にこのままの方向で進んでいっていいですかね?

自分も子供がおりますので、モンスターペアレント的な噂を耳にしたりもしますし、自分達の時代とは違う成績評価方法で、これを人質にしている困った教師の方もいるような話もチラホラと聞こえてきたりします。

自分の子供が可愛いのは親としては当たり前の事として、その考えが行き過ぎてしまったり、子供の安全を確保したいが為の過度なクレームや対処が結果として子供たちの経験を積む場所を奪っている、、、そして社会に出ればイマドキの若者は経験が不足しているというような批判をしているって何か変な感じがします。

CMパンチのスタッフも20代前半の子が大半で、最初はなんて世間知らずなのだ、、、と思ったこともありましたけど、自分の子供が成長するにつれ、自分の教育方法が悪いばかりに、このままアルバイトなり仕事の現場に出しても使い物にはならんだろうな、、、という状態に育った自分の子供を見て、反省と今後どういう風に経験を積ませてやるのが良いのか悩んでいます。

先日ブロガーミーティングの懇親会の席で大木さんとお話させていただく時間があって、そこからヒントをいただいたのですが、

団塊の世代を批判する気はないですが、自分の経験として親や職場の先輩から教え込まれたことって、問答無用、スパルタ方式が多く、仕事も教えてもらうというよりは、盗めの方式が大半だったような気がします。

ただ、これってアナログ時代の方式で今のパソコン時代ってどうでしょう?

マニュアル通りの事しか出来ないって言いますけど、パソコンは計算機でアナログ方式でガチャガチャと適当に動かしていたらなんとかなったという考え方通用しないですよね?

間違った指示を与えたら、間違った結果しか返って来ない。

携帯ゲーム機や家庭用ゲーム機、携帯電話に携帯型音楽プレーヤ、昭和の時代には存在すらしなかった物を含め、これら電子機器は間違った指示を与えたら、間違った結果しか返って来ない代物で今の若い世代の人たちはこういう物と親和性が高いというか、そういう物しか扱ってきていない世代とも言えますよね。

例によって音楽の例えで恐縮ですが、アナログテープでの録音時代にはほんの少しレベルオーバーによる歪みが加わることで音が暖か味を増すというような事がありました。(テープコンプレッションと呼ばれる独特の効果などなど、、、)

電気的に考えると一定レベルを超えて音が歪んでいるのでまずい訳ですが、人間の耳には心地よいという言わば論理破綻(録音技術を学ぶ場合、まず歪まないように炉録音する、、、ってのを最初に習いますので)があったりするのですが、デジタル時代のクリップ(歪み)はエラーでしかないという事でして、アナログ時代にはわざと間違った使い方しても答えや使える結果が得られる時代だったのが、デジタル時代になってそれはもう通用しないって事ですよね。

50代前半から40代~35歳前後の人と、20代~35歳前の人たちの世代間ギャップを完全に埋めることは出来ないまでも、この電子的、デジタル型の社会がどんどん浸透していく中では、迎合とかって表現になるとあまりいい気分はしないですけど、何かしら自分達のほうが変わらないと駄目な部分が相当にあるのでは、、、ってここ最近急に考えていたりします。(今取り上げている話題的に、ここにデジタルネイティブの世代というのも含めて考えるべきなのかもしれませんけど、ここでは触れずに…)

ただ、冒頭の消去法的もしくはリセット型の話に戻ると、社会制度を立案してる側は、改悪であっても文句があったから対応しただけで、その結果として暮らしにくい社会になってもしょうがないでしょ…的な話になると無限ループ状態になってしまいますし、何でもかんでも禁止にしておけば、とりあえず安全でしょ的な考えは自分としては受け入れがたい面もあったりするのですが、もう少し「自由」という枠組みを上手く活用していくためには何が欠けているのでしょうかね?

ここまで書いて、そういえば自分の通った高校は成績レベルがお世辞にも高い連中の集まる学校ではなく、それはもう、あれこれ校則で縛られていたんですが、市内で1番か2番の学校は殆ど校則というものが存在しなかった事と、

今の若い世代は何でもゲーム思考で、何かあるとリセット、再起動すれば済むと思っている的な批評をしている古い世代も、結局同じ対処方法とっているんじゃないか、、、と思った次第です(苦笑)

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