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この前投稿した「東京」と「大阪」で違いを感じること(3)の補足

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お気づきになっている方も多いか、と思うが、オルタナティブ・ブログにもトラックバックスパムやコメントスパムがに来る。自分のブログは知名度が無いのでそれほどでも無いが、来る人には大量に来るようだ。

記事の内容に関係無く、誰彼構わずやって来ているトラックバックやコメントに関しては、オルタナティブ・ブログの事務局の方が削除してくれている。ただ、機械的な処理はできないことから、人間技でやっていただいているらしい。結果として、スパム扱いとして処理されるトラックバックやコメントの判断については事務局とオルタナのブロガーとで差異があることもある。

先日記述した、「東京」と「大阪」で違いを感じること(3)~コピーで良いライブについて、昨日の午後、自分のブログを見た時に、この方からトラックバックをいただいていたのに気づいたが、今日になると消えていた。恐らく事務局の方が処理されたのだと思う。自分としては関心があったので、返答しようか、と思っていたのだが。そういう意味では、消えたのはわざとじゃない。この場を借りてお詫びしておきます。ごめんなさい。

さて、この方のブログによると、

この方の東京大阪ライブハウス比較論が実体験から来る温度感があったので
(※ここで言う「この方」は自分である)

とのこと。そうか。大阪の今の事情は違うのかもしれない。もしくは自分が今見ている東京の事情はある一部分なものに過ぎないのかもしれない。何せ、大阪でライブハウスへのエントリー条件とかを自分が見ていたのは、もう約15年ぐらい前の話だ。「東京」と「大阪」の違いでもなんでも無いが、その頃のライブハウスの想い出について書いてみたい。以下、脈絡無くなる、と思う。先に謝っておきます。ゴメンナサイ。
(※以前書いたように、正確には関西地方=「大阪」では無いが、今回の話は広く大阪周辺、と捉えてもらえばありがたい)

大阪におけるライブハウスの雄、と言えば、「バーボンハウス」と「バナナホール」だったと思う。神戸にある「チキンジョージ」も加える、という人も居るかもしれない。まぁ総合的に名だたる、という意味では異論を唱える方は居ない、と思う(居るかもしれないが)。これらに対して、もっととあるジャンルに特定した、という意味で、それぞれ、「YANTA鹿鳴館」、「バハマ」、「不思議の国のアリス」、京都の「磔磔」や「拾得」があった。(自分の勝手な認識に過ぎないが)これらのライブハウスに対して、もうちょっとエントリー、というか、まだまだ今から勢いつけて行くぜ~、って感じのバンドがよく出ていた枚方「BLOWDOWN」や、尼崎の「VIP2HALL」なんていうのもあった。今はすっかりメジャーになってしまったシャ乱Qも、「YANTA鹿鳴館」や「BLOWDOWN」、「VIP2HALL」にはよく出ていたような覚えがある。そうそう、大きいハコと言えば「ミューズホール」(当時は心斎橋および京都のみだったような覚えがある)もあったが、どちらかと言えばメジャーな人が”レンタル”的に使っていることもあり、前述のライブハウスとはちょっと性格的に異なるようなイメージがあった。ちなみに自分がメインに活動していた1990年代初めぐらいには、心斎橋の「CLUB QUATTRO」は無かったはずだ。

これらのライブハウスに出演しよう、と思うと、当時はインターネットなんてものは無かったし、自分の場合、パソコンすら無かったので、楽器店においてあるフリーペーパーやチラシを見たり、関西のタウン誌の雄(?)「Lマガジン」にて情報を仕入れたりする。そもそも出演する気があるのなら、ライブハウスに直接電話して聞けば?というのはもっともなのだが、結果、どっか一ヵ所電話したかしなかったか、ぐらいの記憶しかない。「Lマガジン」では時々、ライブハウスのブッキング担当の方がインタビューされていたりして、「ああ、こういう人が担当なんだ」と勝手な親近感が沸いたりして容易に出演について教えてもらえそう、と一瞬思うのだが、よくよくそのインタビュー記事を読むと、そのこだわり度合いというのが伝わってきて、ハンパな活動しかしていなかった自分などはその段階で躊躇して連絡できなかった。

でもライブはしてみたい、と思うと、ホールレンタルとかをすることになる。今のような形態では無かった阪急ファイブの上に、「オレンジホール」と「OMCスタジオ」という、通常のライブも行われることもあるが、これらはブッキング、というより、ホールレンタルのイメージが強かった。両者は同じフロアに並んで位置しているのだが、その名前の覚えやすさか(?)、「オレンジホール」の方がメジャーだった(自分の周りでは)。

(会話例)
「今度な、ファイブの上でライブすんねん」
「あ、オレンジホール?」
「いや、その隣やねんけど」
「なんていうところ?」
「OMCスタジオって言うとこやねんけど」
「・・・ふーん」

でもホールレンタル、となるとそれなりに費用もかかる。アマチュアのライブでお客さんが呼べる保証はどこにもない。すると、ハンパな活動しかできていないところ(特に自分とか)は、更に妥協して、地方公共団体が持っている小ホールとかでやることになる。これは大阪以外でもあまり変わらないだろう。

脈絡が無いなりに、自分の結論、として思うのは、やはり「大阪」は物理的に狭い、ということ。狭いからこそ、ライブハウスそのものの数も「東京」よりもきっと少ないが、それぞれのライブハウスが自分達のポジショニングを明確に持っていたように思う。ライブハウス同士も対抗意識とは微妙に異なるライバル意識があったように思える。だからこそ、熱心に活動していたそれぞれのバンドは、明確に「いずれあそこに出たい!」という想いも強く持っていたように感じた。

すみません、やっぱ取りとめが無いのでこのあたりで。実はもっとこのあたりの事情に詳しい人が自分の親友に居る。「お前が語るな!」と怒られそうだ。

追伸1:あ、「アムホール」を挙げるの忘れた。でも、どのポジションだ?微妙に難しい

追伸2:ライブハウス名にリンクがあったり無かったりするが、特に意味は無い。見つけやすかったところだけリンクしただけである。でも、上記に挙げたうちの結構多くのライブハウスが今は無い。

追伸3:難波の「ロケット」や、江坂の「ブーミンホール」(現在はここも「ミューズホール」)などができたのは、上記のライブハウス事情を書いた時代背景よりは数年後。

追伸4:ホールレンタル、という意味では、三角広場近くの「サンホール」というボウリング場の地下のホールもあった。ここは特徴あって、元風呂(だったかシャワールーム)の跡地、ということもあり、それらの配管むき出し、というのもおもしろかった。それこそ、城天進出前のシャ乱Qは一時期よくやっていた記憶がある。

追伸5:ちなみに、演劇のハコに関しては、もう一も二もなく「扇町ミュージアムスクエア」だろう。単にハコ、というだけではなく、今や関東でも有名になってしまった「劇団☆新感線」の事務所がここに入居していたらしく、演劇にはまっていた自分の先輩や知り合いがここによく出入りしていた。残念ながら、ここも今は無い。

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