「人の記憶こそが時間なんだ。」
この夏、結構印象に残ったセリフ。そう、ご存知の方はご存知、ご存知でない方はご存知でない・・・って当たり前か、『仮面ライダー電王』の映画版のとあるシーンでのセリフです。
良いセリフだなぁ、と思いました。脚本は小林靖子さん、という方だそうだ。よく思いつくな、こんな文章。
ここは『仮面ライダー電王』ブログでは無いので、ストーリーは書きません。ついでに、テレビ版の方は最初数本見て、しばらく取り溜めして見よう、としているうちに数ヶ月過ぎてしまい、全く付いていけていないので、語ることはできません。でも、大丈夫!オルタナティブ・ブログには、この方とかこの方とか、いや、もしかしたら今はこの方も、と、たくさん『仮面ライダー電王』に詳しそうな方が居られるので、お話のおもしろさはお任せしたい、と思います。
ただ、後半、少しだけ文脈の都合上、ネタバレ部分があります。ご容赦願います。
さて、人の記憶=時間、という定義、色々思いつめてみると、自分はそのとおり、という気がしています。
普段、”時”を語る時、ついその瞬間瞬間を思い浮かべたりしませんか?また、何か約束をする時、「で、時間何時にする?」と使ってしまうものの、時間という言葉そのものには”間”という範囲を示す文字が入っている。つまり、時間という言葉そのものは、某かの範囲を示すために生まれたのだろう、と思いました。
”記憶”、というのもある時に経験した情報や得た知識をその一瞬分だけ切り取って保管しておいたもの、と昔は漠然と思っていたのですが、その記憶には時間軸としての前後関係がある場合と無い場合で自分の場合はその記憶の鮮明度合が変わるような気がします。
で、ここでちょっとだけ映画の話をネタバレさせてしまうと、主人公である野上良太郎くんは自分の誕生日を消されそうになります。その誕生日とは、1988年12月26日とのこと。この誕生日は当然架空のお話ですが、現実のこの日、自分は高校時代からついその前月まで付き合っていた元彼女に再アタックして、完全に縁が切れたことが確定した日でした。以前書いた玄関先の電話で。「よくそんな日、覚えてるな」と言われそうですが、なんかね、印象深い日はついつい覚えているんです。但し、ここ十数年、そんなことを思い出すこともなく過ごしてきたのですが、家族で見に行った『仮面ライダー電王』でまさか、よりによって、その日とは・・・。なんかその時言われたセリフまで思い出しましたよ。「もう・・・遅いよ・・・」・・・。もちろんもう未練は全くありませんけどね。ある面いい青春の一ページです。
なんて赤裸々な告白はともかく。”記憶”とは、もちろん覚えておくことそのものですが、そういった内容が記憶できる、というのも、そのシチュエーションから丸ごと印象づけられるから覚えておけるような気がしています。そういう意味ではそこに時間軸および時間経過の範囲がある。だから、あらためて、”人の記憶”に”時間”が存在する、というのは確かにそのとおり、と思った次第です。コンピューターの記憶にはそれこそその一瞬を示す符号としてのタイムスタンプはあるものの、時間範囲という概念は無さそうですね。工学には全く疎いので的外れかもしれませんが。
そういった人の記憶のある時間がみんなそれぞれで組み合わさって年表のようになっていたらおもしろいんじゃない?なんてことを書こうか、と思ったら、既にそういったサービス出ているんですね。
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「Life Pedia」はブログで反映、「@nifty Timeline」はテーマで反映していくようですが、妹尾個人としては、みんながその時、どこでどんなことしてた、実は自分と誰かがニアミスしていた、なんてことがあると楽しいかな、と。だからできれば、Google Mapとかと組み合わさった年表、この年、ここで、誰が(もちろん匿名可)、何を、どうしてた、なんてのがあると、ムキになって年表の埋まっていない空白の地域や年月日、時間を探し出してみんな書き込んだりしたりして、とついつい暴走気味の想像が膨らむのでした。