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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

人の悩みを聴くときは。

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悩み相談を受けやすい人、というのがいる。

友人に何人か、そういう人がいる。きっといい人オーラを出しまくっていて、「この人なら聴いてくれる」「この人なら言っても安心」と思われるのだろう。

そこへ行くと、私は、さほどそういう対象に選ばれないような気がするので、「いい人オーラ」も出ていなければ、「この人に話すと説教を食らいそう」と思われている、のかもしれない。

ま、それはそれとして。

上司、リーダー、先輩、OJT担当、メンター・・・といった立場にある人は、少なからず、悩みを打ち明けられる場面に遭遇する。

「他人の悩み」の扱いというのは、これが結構メンドクサイもので、「自分も同じ悩みを抱えたことがある」という場合は、「わかるぅー」と共感しやすいが、
「そういうことで悩んだことがない」という場合、反応に困って、つい、マズイ対応をしてしまうことがある。

ある人は、自分が見ているチームの若手メンバから悩みを打ち明けられた時、あまりに自分にとって意外だったため、「なんでそんなことに悩んでいるの?」と真正面から反応してしまったおうだ。メンバは、「わかってくれないんなら、もういいです」といい、そのまま、ずーっと距離を取られてしまっている、と言っていた。

このリーダーは、「私だったら悩まないようなことを言われたので、つい、なんで?と言ってしまったんですよね」と苦笑い。 (ケースA)

またある人は、相手の悩みに対して、「〇〇をしないからいけないんじゃないの?」「〇〇をすればいいだけじゃないの」としごく全うな正論をぶつけ、やはり、相手から、「それはわかっているけど、それが出来たら苦労しないんだよ」と言われ、追い打ちをかけるように、「わかっているならやるだけじゃん。わたしならすぐやるけど、ぐじぐじ言ってないで」と言い放ち、相手をしゅんとさせた経験を持つ。 (ケースB)

こういう例は枚挙にいとまがないのだが、なんでこういう風になってしまうかというと、ケースAもケースBも、相手の悩みを「じぶんごと」に置き換え過ぎなのだと思う。

「私ならどうする」「私ならこうする」と自分に引き寄せて考えすぎるから、つい、「なんで悩むの?」とか「こうすればいいじゃん」と応じてしまう。


相手の悩みを自分に引き寄せるのをいったん止めてみてはどうか?

「ほぉ、あなたは、そういうことで悩んでいるのねぇ」
「なるほど、〇〇が悩みなのねぇ」

とただ繰り返す。受け止める。

「ほほぉ、んで、それをどうしたいと思っているの?」
「それでどんな気分になってしまうの?」
「その時、どう対処しているの?」

さらに基本的には全部質問で返すのである。しかも、できるだけオープン質問で。

オープン質問をしていると、相手もどんどん話さざるを得なくなり、洗いざらい気持ちをぶちまけているうちに、変化が起こってくることがある。

「話しているうちに、自分でもささいなことだなあと思い始めた」
「話しているうちに、くだらないと思うようになった」
「話していたら、解決策が見えてきた」
「話しただけで、すっきりした」

なんてことが起こり、勝手に会話が終わる場合も多々ある。


人の悩みは、真剣に受け止めようとすると、自分ごとに置き換えて考え始め、そうなったときの反応は、相手にとってろくなもんじゃない場合が多い。

相手は、そう考えているのかぁ。
それでどうしたいのかなぁ?

とココロを無にして反応し、相手に語らせるようにだけするんでいいんじゃないかと思ったりする。

そうやって語りつくした相手が、最後に、「ねえ、どうしたらいい?」「あなたならどうする?」とアドバイスを求めてきたら、初めて、自分の考えや意見、体験を述べるのでもよいのだ。
たぶん、きっと。

ところで、「あらゆる悩みを一身に引き受けるタイプの友人」は、「たくさんの悩みの言葉が自分の中に取り込まれてしまい、非常につらい」のだという。

だれか、彼の悩みを聴いてあげてください。

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以前、日経BP社主催の読者向けセミナーでご一緒した、臨床心理士武藤清栄さんの本を紹介。

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