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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「ググれカス」によって失われる大切なもの。

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研修参加者のおひとりが、「ミャンマー人とのプロジェクトをやっている」という話をなさって、他の参加者が、「へぇ」「ほぉ」と言いつつ、「ところで、ミャンマーってどの辺にあるんだろう?」と疑問を口にした。

私は、すかさず、ミャンマーのプロジェクトをやっている方に、「ホワイトボードに簡単に地図、描いてくださいよ」とお願いすると、質問者もその他の参加者も、「あ、絵描かなくて大丈夫です。これで調べるんで」と言って、一斉にスマホで検索を始めた。

そして、全員が自分のスマホでミャンマーの位置を出して、「ああ、ここか」とつぶやき、この会話はほぼ収束した。

面白い光景だな、と思った。面白いというか、興味深いというか。

「ミャンマーがどこにあるか」の答えは、確かに地図を見ることが最も正確で最短に得られるかもしれない。

けれど、これでは、「疑問の答えが分かる」だけになる。そこに、人と人との交流はほとんどない。

もし、私が提案したように、一人がミャンマーの地図を、下手であろうがなんだろうがホワイトボードに描いて、それを全員が眺め、「ああ、そのあたりなのね」とか「その地図ちょっと下手ですね(笑)」とかそんな風にコメントし合えば、さらに会話ははずみ、人間関係も醸成されたに違いない。

研修の参加者同士と言うのは、或る意味で一過性の関係なので、人間関係が深く構築されなくてもよいといえばよいのかもしれないが、これをオフィスに置き換えてみるとどうだろう。

若手が何か疑問を口にする。
先輩は、教える代わりに、「そんなこと、まずはググれば」と言ってしまう。
ググった若手は、それで「答え」だけ知って、終わりになる。

それが何回か繰り返されると、
若手は、もう先輩に質問するのをやめ、自分からググって、分かった気になって、黙って問題を解決する(した気になる)。

こんな風に職場の対話がどんどん減っているのかもしれない。

ググることで答えは見つかるかもしれないが、対話は激減する。

一人一人がPCやスマホやタブレットを持っていることが、相手の顔を見る頻度より、画面を見る頻度を高めているように思う。

情報は早く手にできるけれど、それだけではない、大切な何かを手にする機会は失っている。たぶん、きっと。

後輩が質問してきた時、「ググれカス」と応じてしまっては、そこでコミュニケーションは終わる。

「ググってみた?」「それでどうだった?」・・せめて、こんな風に対話はしたいものである。


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