人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

【父の介護日記②】突然父が2Fに上がれなくなった(2014/12/25)

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父の介護日記②。

まずは、年末年始の出来事を記録していきましょう。(その後、「年末年始」後のさらなるドタバタ、「日本の介護事情」などを書いていきまする)


何度も書きますけれど、12月22日(月)~24日(水)まで、両親や妹一家と6人でクルーズ旅行をし、船上から熱海の花火を楽しんだりしました。

この時の父は、車椅子で移動するものの、食欲は旺盛で、私が食べきれないほどのフルコースディナーをぺろりと平らげておりました。(朝ごはんも昼食も同様)

船室ではソファーに座り、車椅子に乗り移る(=移乗と言います)には、一人以上の介助が必要。トイレに行くにはできれば2人の力があるといいという感じでした。すでに右下肢は麻痺しているため、足を動かしてやらねば、右足は置いたままの状態で向きも変えられない状態ではありました。

つかまったとしても、一人で1分も立っていられないので、入浴はできませんでした。(シャワーすら浴びることができない)

とはいえ、まあ、足が不自由な老人というくらいの様子だったのです。船内イベントもほぼ全部見学し、楽しそうにしていましたし。

・・・この時点で、私や妹は、「むむむ? 秋以来、2-3か月ぶりに会ったけど、この状態で、母と2人で大丈夫なのか?」と心配はしていましたが、なんせ食事は全部食べるし、トイレさえ介助すれば、次のトイレまで2-3時間くらいは一人で放置しておいても大丈夫だったのです。

これが嵐の前の静けさだったとは、後で知ることになります。

下船が12/24(水)、横浜大桟橋のタクシー乗り場まで、船のスタッフにも手伝ってもらい車椅子で移動。タクシーに乗り込むところまで2人くらいで介助(右足が動かないため)。 
タクシーを降りてから、母一人で家まで上げることができるのか心配でしたが、「大丈夫」と母も言うので、見送りました。

私も妹も帰途につき、落ち着いたころ実家にTEL(だったかメールだったか)をしたところ、「お父さんは無事、自宅に上がり、2Fの寝室に行って寝た」というので、一安心でした。(この「2Fの寝室に行って」という部分も後から聞くと大変なことになっていたのですが、この時点では知る由もなく)

翌日25日、26日と母に何度かメールしたものの、日ごろなら数時間以内に返信があるのに、なぜかちっとも返信がないため、なんとなく心配になり、TELしました。TELも最初は通じず、だんだんと胸騒ぎがしてきて、携帯や自宅に1時間おきくらいにかけているうちに、やっと母が出ました。たしか、26日のこと。

「忙しくてメールする暇、なかったのよぉー」

「何があったの?」

「お父さんが、2Fに上がれなくなって、この2晩は、1Fのソファーで寝たのよ。寝心地悪いでしょう?だから、ケアマネージャさんにお願いして、急きょ介護ベッドが入ることになって、ばったばたしてて」

「うへ」

・・・そんなことに。 24日下船→帰宅後、2Fの寝室に行ったのに、その翌日からもう2Fには行けなくなったというのです。

1Fには和室があり、そこに介護ベッドを入れることになり、年末なのに2日で対応してくださったらしく、27日にはベッドが入ったといいます。
(もともと、母は1Fの和室で布団で休み、父は2Fの寝室のベッドで休んでいました。もう20年くらい前からかな)


25日、26日とソファで寝た父。 (ちなみに160㎝くらい、70㎏くらい。重たい)
27日から介護ベッドで。

介護ベッド導入の晩から、父は母の蒲団の脇にあるベッドで寝ることになったわけですが、父が夜中「1時間に1回」の頻度で「今何時?」「もう朝?」などと声をかけるため、母が眠れなくなってしまったらしいのです。(これも後で聴いた話です)

28日、妹一家が実家に帰省します。到着すぐに私に妹からメールが。ひとこと。「おかあさん、相当疲れている」


・・・何が起こっているんだ?実家で。

私もすぐ行ったほうがよさそうな状況でしたが、1月5日に締切がある原稿が3本くらいあって、年始に書こうと思っていたのでしたが「もしかすると年始は自宅に戻れないかもしれない」と思い、急きょ、原稿を書くことにしました。急げ、急げ。ネタ考えろ。(← この判断は正しかった!)

火事場のばか力とは本当のことで、4本の原稿をそれぞれの担当編集者に送ったのが、29日午前中。午後から実家に向かったのでした。

12月29日(水曜日)14時ごろ実家に到着。

実家で目にした父と、そして母の様子に愕然としました。

・・・続く。

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