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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「条件つきの愛」と「無条件の愛」

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昨年から母校・上智大学グリーフケア研究所主催「グリーフケア」講座を春・秋と取っています。10月からまた秋講座が始まります。グリーフ(grief)は、「悲嘆」のことで、様々なものとの喪失体験(死とは限らない)に対して嘆き悲しむこと。それを、どうやってケアするかがテーマです。他者をケアするために勉強しに来ている人もいますし、自身でケアするために学びに来ている人もいます。

私は、何のためにという明確な目的も目標もないのですが、考えたことのない世界、触れたことのない世界について考えてみること自体が興味深く、今季で4コマ目です。 輪講形式なので、毎回、様々な方が講義をしてくださいます。 シスター、神父、僧侶、医師、画家、作家・・・etc.

さて、そのグリーフケアの勉強の中で、必ず登場するエリザベス・キュブラー・ロスというアメリカの精神科医がいます。彼女の本をもうずいぶん前に買ってあったものの(グリーフケア講座をとろうと思うよりも何年も前です)、ずっと積読でした。

この3連休、ようやく手に取り読み始めました。

彼女は、「死を受容するまでの5段階」をこう述べています。

●否定
●怒り
●取引
●抑うつ
●受容

今日、書きたいのはそのことではなく、今読んでいる本(『「死ぬ瞬間」と死後の生』(中公文庫))の中に出てきた、死とは直接関係ない部分です。

こんなことを書いています。(引用ではなく、ニュアンスでの再現)

*****

大人は、つい条件付きの愛を子どもに与えてしまう。
「いい子にしていたら、●●を買ってあげる」
「お手伝いしたから、いい子だね」
「●●だから、愛しているよ」

・・・と。

そうすると、「●●したら」「●●だから」の部分がなければ、自分は愛されない存在だと思ってしまう(こともある)。

そうではなくて、「愛しているよ」「いい子だね」と無条件の愛を受けて育つ子どももいる。「無条件の愛」を受けて育った子どもは、とても安定している。

*****


そんな感じのことが書いてあったのでした。

その話の前後で、「ぜんそくが悪化する子ども」の例が出てきて、「僕はもっと悪くならないとパパやママに愛されないんだ」と思っている・・・というのです。彼の兄は小児の末期がんで、両親の愛情が全部兄に注がれていると思っているのですね。だから、自分も愛を受けようとするならば、ぜんそくが悪化するしかないと思い、ほんとうに心身症で、ぜんそくが悪くなってしまう・・・と。 

なるほど、そういうことってあるかもしれません。

全幅の信頼。
全面的な愛。

条件のない愛。
無条件の愛。

そういうものに包まれて育つ子どもは、心が安定する、ということは、そういえば、以前、参加した「パフォーマンス学会」のシンポジウムでも臨床心理士の方がおっしゃっていたなあ、と思い出します。

彼は、「子どものうちは、”万能感”を持つように育ったほうがよい。大きくなるにつれて、現実に直面し、徐々に”万能感”は薄れていくが、最初は一度”万能感”を持つことが大事。」といった話をなさっていました。

(「大人になっても”万能感”に満ちている人もたまにいますが、それはそれでちょっとね・・(笑)」ともおっしゃっていました。)

中学時代からの友人で、教員をしているO君と昨年正月(だったかな)、久しぶりに私の実家で再開したら、うちの妹に

「子どもはね、何かあったら、とにかく、ぎゅーっと抱きしめてあげることだよ」

と言っていたのも同じことなのでしょう。長年の教師生活で実感してきたことなのだと思います。

本を読みながら、あれやこれやとつながりを考えていくのは面白い作業です。


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