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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

すべてのことは自分で選んでいるし、選んでいい。

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昨日、Twitterを眺めていたら、グラッサー氏の訃報が流れてきました。「選択理論」とか「選択心理学」と呼ばれる分野の第一人者・ウィリアム・グラッサー氏。(ご冥福をお祈りいたします)

グラッサー氏に限らず、多くの方が、「いまの自分は、これまでの自分の選択で出来上がっている」とか「自分の行動は自分の選択の結果だ」とか「自分で自分のことは選択できるし、選択していいし、選択しているという自覚を持っているほうがよりハッピー」と言ったようなことはあちこちで述べられていて、「ほんとにそうだよなあ」とよく思っていました。今も思います。

被害者意識がむくむく湧き上がってきてしまう時って、きっとこの「選択している感覚」が薄れてしまっているんでしょうね。

自信がない時とか、やらされ感を抱く時もそうかもしれない。

けれど、いったん、主語を自分に戻してみるならば、どんなことでも基本的には「自分で選択」しているんですよね。

先日、ウォーキングのことを書きましたけれど、太った原因は自分が作っており、太るために食べたり運動をさぼったりしていたのも自分であって、岡田斗司夫さんの言うところの「太る努力を一生懸命していた」のでした。それをしたのも私です。

勉強しない、ということを選ぶのも自分、勉強するのを選ぶのも自分。
部屋を汚れたまま放置することを選択しているのも自分、片付け掃除するのを選ぶのも自分。

どんなことでも「自分で選んでいる」という意識、自覚を持っていると、世の中の見え方が変わるように思います。

自分の人生の主人公は間違いなく「自分」なのに、自分で選んでいる感覚が薄れていくのはもったいない。

「選択理論」というのはもっと奥深いものですが、「自分で選んでいる」ということだけフォーカスして書いてみました。

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勤務先で4か月に1回順番が回ってくるコラム、8月は私が執筆しました。「太る」「早朝ウォーキング」「選択している」あたりのキーワードを盛り込んでいます。「自信」がテーマですが。

わくわくヒューマンスキル 「自信はどこから湧いてくるのか
http://blog.globalknowledge.co.jp/wakuwaku/cat71/95.html

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