水色のフォルクスワーゲン。
私、2歳から5歳直前まで、両親とともにアメリカのウィスコンシン州に住んでおりました。帰国してからは小学校卒業まで埼玉県北本市に在住。アメリカで両親が乗っていた緑色のフォルクスワーゲンを船で日本に送り、日本でもそのフォルクスワーゲン(ま緑色!)に乗っていました。昭和43年から50年(1968年~1975年)くらいまでの話です。
左ハンドルでフォルクスワーゲンでま緑色、しかも、埼玉県の(当時は)田舎の小さな町。目立つ、目立つ!変な形、変な色。
小学校でいじめられました。
「ぼろくそワーゲン」
「ぼろくそワーゲン」
囃し立てられて・・・。
ところが、同じ団地(戸建住宅街を団地と呼んでいました)に、もう1軒、ぼろくそワーゲン、いや、フォルクスワーゲン(同じビートルです)に乗っている方がいらしたのですね。
こちらは、上品な水色。時々、住宅街を水色のフォルクスワーゲン。いいなあ、うちのもせめて緑色でなければ、と子供心に水色のフォルクスワーゲンを羨ましいと思っていました。どこのおうちだろう? ご近所なのはわかるけれど・・・。
さて、話は変わりますが、
夕べ、あるプロジェクトの打ち上げがありました。主宰された方と関係者5人の会食です。主宰者を軸に人間関係ができているので4人はほぼ初対面同士。
それぞれのバックグラウンドや知り合ったきっかけ、出身地、今の住まいなどを話しているうちに、おひとりの男性と私と同じように「子供の頃、埼玉県北本市」に住んでいたことがわかりました。
この男性Kさんとの会話。
「ボク、第三チサンでしたけど」←住宅街の名前。
「え!? 私もです」
「●●やさんという酒屋さんがあって、お菓子なんかも売ってて」
「あ、そうそう。●●やさんは、僕の家からはちょっと遠かったな」
「子供会でラジオ体操した公園のほうですか?」
「そうそう」
「うわー、本当に近い!」
「小学校は石戸小学校」
「え?同じです。私、昭和38年生まれですが」
「ボクもです」
「同じ学年ですか?●●先生でしたけど」
「ん? あ、早生まれ?じゃボクは1年後輩ですね」
「5年間は同じ小学校にいたのですねー」
「絶対に会ってますよね。2クラスずつくらいしかなかったのだから」
「子供会といえば、●●さん3姉妹がいて、たまに遊びに行っていたなあ、●●さんち」
「うわー、その●●三姉妹の隣に住んでました。今でも、●●三姉妹の長女の方とは年賀状のやり取りがあるほどで。同級生で、一番の仲良しだったから」
「へー。あの家の隣に田中さん、住んでいたんですね」
・・・・
「うち、緑色のフォルクスワーゲンをガレージに置いていたので、結構目立ってたと思います。子どもたちに”ぼろくそワーゲン””ぼろくそワーゲン”ってからかわれたりしてねー。外車、珍しかった時代だし、色と形、変だし」
「お、うちもワーゲンでしたよ。水色でしたけど」
「えええええええええーーーーーーーーーっ!? あの、あの、水色のワーゲンのお宅のお坊ちゃまですか?わたし、羨ましいとおもっていたんですよ」
「へぇー」
5人で会食しているのに2人で勝手に10分くらい盛り上がり、「ごめんなさい」と謝ると、他の3人の方も、「なんか情景が思い浮かぶなあ、すごい出会いだなあ」と喜んでくださいました。
私が40数年前に憧れていた水色のフォルクスワーゲンに乗っていた男性のご子息が会食の席で今、目の前にいるわけですよ。
しかも、40数年前は、その水色のフォルクスワーゲンの存在だけを目にしていて、どこのおうちに住んでいるどなたなのかも知らなかったのです。
もうびっくり、びっくり、びっくり!
こんな半径数メートルの範囲で接点があったはずの方と40数年を超えて出会うとは。
人生、時々、こういう「超びっくり!」な出会いがあるものですが、昨日のそれは、「あわわわわ!」と最上級の驚きで、すぐ母や妹にメールしました。二人とも「びっくり!」と驚いていましたよ。
きっともっとたくさん話していけば、今でもつながっている共通の知り合いも発掘できるかも、ですね。