「理想の上司」像より「ああはなりたくない上司」像のほうが思いつくというお話。
あるお客さまがこんなことをおっしゃっていました。
「20年後にどうなりたい、ということを明確に言える社員は少ないと思う。理想の上司とか理想の先輩、自分がこうなっていたい、という将来像を言葉にできる人、あまりいないんじゃないかな。 でも、ああはなりたくない、あんな風にはなっていたくない、なら、いくらでも挙げられるはず」
・・・なるほど。分かる気がします。
研修でもよく「OK例とNG例」を挙げてみよう!というワークをします。
たとえば、「よいプレゼン」と「悪いプレゼン」とか、「よい聴き方」と「悪い聴き方」とか。「信頼関係を構築するのにOKなこと」と「信頼関係を損ねる、NGなこと」とかです。
ブレーンストーミング的に大量に挙げていただこうとするものの、たいていの場合、「NG例」ばかりたくさん出てきて、「OK例」はちらほら、と数のバランスが悪くなるのです。
「やってはいけないこと」はわかったとして、「では、どうすればいいのか?」もしっかり考えて言葉にしてみてください、と促しても、「うーん、NGの反対かなあー、NGの反対をやればいいんですよ」と言う答えが返ってくることも多いのです。
例を挙げてみましょう。
<悪いプレゼン>
●声が小さい
●聞き手を見ない
●一方的に進める
●資料がごちゃごちゃしている
・・・・・延々と大量に挙がってきます。 これらの「反対をやればいいんですよ」と言いながら、出てくるものは、こんな感じになります。
<よいプレゼン>
●声が大きい
●聞き手を見る
●双方向に進める
●資料がすっきりしている
なんとなくわかるような、実はわからないような。だって、これですっきり明快な答えでもないんですよね。
●声が大きすぎて耳障り
●聞き手をじっと見過ぎて緊張する
●双方向に進めようとしているが聞き手とうまく対話できていない
・・・ということもあるからです。
「NG例」の逆が「OK例」といっても、何をもって「OKなのか」という部分まで考えないといけないのですが、「声が大きすぎるってこともありますよね。だから”悪いプレゼン”のそのまま反対をやればいい、全部逆ですとも言えないのでは?」とあえてぶつけてみると、「だから、何事も”適度に”ですよ」との返事が。
●適度に声が大きい
●適語に聞き手を見る
●適度に双方向に進める
「では、何を持って”適度に”なんでしょうね?」と突っ込んでみると、「”適度に”は”適度に”ですよ」と苦笑い。
研修では、その”適度”をその後の学習で考え、学ぶのでこの段階では抽象的でもよいのですが、日常ではきちんと言語化しておく必要があるのではないかと思います。
冒頭の話に戻ると、「理想の上司像」は言えないが、「ああはなりたくない上司像」ならたくさん言える人、は多いと思うのですね。
たとえば、
「ああはなりたくない上司」として
●部下の話を頭ごなしに否定する上司
を挙げたとします。
では、これ「その逆ならOKな上司です」とするならば、
●部下の話を聴き、否定しない上司
という表現になるかと思いますが、途端に、「なんだかわからなくなる」ような気がします。
なんでも「はいはい、なるほど、そうだねえ」と聴くことが、理想の上司像の一つか?と言われると、何か違う気がする。
あるいは、
「ああはなりたくない上司」は
●仕事の指示があいまい
その逆なら、
●仕事の指示が明確
・・・では、「明確な指示」って何をどうすることか? はこの表現ではわからない。
たいていの場合、「NG例」はいくらでも思いつくのです。「やっちゃだめ」「されたくないこと」「これ、いかんよねぇ」という行為の列挙をするのは容易です。
一方で、「こうあるべし」「こうありたい」「これをすべき」という行為を具体的に言葉にするのは案外難しい。
でも本来考えるべきなのは、「ああはなりたくない」「あれをしてはいけない」ことだけでなく、「ああなりたい」「ああありたい」「あれをしたほうがよい」行為ではないかしら?
そこを徹底的に考えてみることが、大人の成長につながっていくような・・・。
「OK例」をたくさん、しかも、具体的に考える思考の訓練が必要なんじゃないかと最近、よく思うのです。