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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

親のキモチ。子どものキモチ。

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おととい金曜の夜は、予告した通り、2年目の方たちとの呑み会でした。昨年新入社員研修で出会った方たちです。

「イマドキの若者」と言われる世代ではあるけれど、仕事、人生、家族、プライベート。当たり前だけれど、色々なことを考えているし、悩みも苦労もあるし、自分が20代に考えていたこととあまり変わらないなあ、と思ったりしました。

たくさんの話をした中で、話は昨年の4月にさかのぼりました。

「田中さんが、研修中、”初任給出たら、何か買ってあげるのもいいけれど、それも難しければ、電話一本かけるだけでも親御さんは喜ぶ”とおっしゃったので、ボクは、プレゼントもしたのですが、給料出てすぐに親に電話したんです。」
「なんと報告したんです?」(←私もちゃんと「ですます」で会話してます)
「初めてお給料が出ました、と言いました」
「ふむふむ、お母様に?」
「はい、母に。あと父にも代わってもらって、”給料もらいました。今までご心配おかけしました。ありがとうございました”というようなことを言いました」
「父上にも! なんとおっしゃってました?」
「”おお、そうか”という感じだったのですが、ちょっと詰まっていたような・・・」


・・・ここら辺まで聴いていたら、やおら涙が出てきてしまいまして。私の息子ではないのだけれど、赤の他人の、家族模様なのだけれど、ごの光景を頭に描きながら聴いていたら、涙出てしまいまして・・・。

親御さんがどんなに嬉しかっただろう、どんなにほっとしただろう。息子が電話してくれたことは、ネックレスとかネクタイとかプレゼントしてくれる以上に、何倍も何十倍も嬉しいことに違いないと想像したら、まるで「母」になり、「息子」から照れくさそうに電話かかってきた気分になってしまい、泣けてしまいました。

いやはや。(テレテレ^^;

3年前に甥っ子が生まれ、彼の成長を、おそらく、普通のおばよりは、色濃く見守ってきている私は、初めて分かったことがあります。

「親というのは、子どもが有名になる、とか、お金持ちになる、とか、出世する、とか、そんなことを望むものではなくて、そんなことよりも、ただただひたすらに”子どもが元気に幸せな気分で毎日を送っていますように”と願うものではないだろうか、。痛い目に合っていない、苦しい目に合っていない、何がどうということはないけれど、平和・平穏な気持ちで日々を過ごせているかを祈っているのではないだろうか。 」

だから、息子が初任給をもらった日に電話くれたことは、何万もするプレゼントをもらう以上に(それだって嬉しいけれど)、心にずしんと来るものだったのではないか、とご両親のキモチが手に取るように感じられて、感動してしまったのです。

その席にいた3人の男性にそれぞれに伺ってみれば、スタイルは異なるものの、親御さんに感謝のキモチを伝えていたことが判明。それぞれのストーリーを聴きながら、再び、みたび、涙する、という「泣き上戸」のような酒席となりました。(ホント、いまどきの若者は、親孝行なのですよ。)


私も若いころ、いや、今なお思いますが、親が何十年も働き続けたことってスゴイことだと思うのです。というか、自分も仕事してみてから、スゴイことだと思うようになりました。その恩恵を受けて、私は成人できたわけですし。 

=====ところで、

金曜日、トラブル対応で最後まで会場に来られなかった方がおひとり。

すると、彼らは

「田中さん、申し訳ないのですが、もう一回、飲み会セッティングしていいですか? ○○さん(←彼女の2年目)も参加するよう、日程調整しますんで。7月でもいいですか?」

とおっしゃいました。

母のような年齢の、社外の一講師を続けて2回も呼んでくださるなんて、ほんと、長く仕事しているといいことがあります。


別れ際に彼らに言われたのは、

「元気出ました。来週から、また仕事頑張ります」
「社外の方と話すというのは刺激になりますね。もやもやしていた気分が晴れました」

といったことでした。

同じことを私も感じました。 私も7月からの新しい組織で、新しいミッションを、頑張ろう!


(追記:「泣けました」というコメントをTwitterやFBやあれこれでいただき、硬いタイトルに変更しました。)

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