「いのち」とは「時間」のことなんです。(聖路加国際病院・日野原重明氏)
「オルタナブログ7周年」が素敵な「祭り」になっていて、びっくりしました。
私、昨年6/10にこのブログに参戦した直後に「6」が「番長と遊ぼう」のテーマになっていたのは見ていたのですが、「番長」が誰?何?かもわからなければ、その謎の「番長」という人(もの?)と「遊ぶ」とは何か?もわからないまま、やり過ごしてしまいました。
始めた当時は、「ブロガーミーティング」の存在も知りませんでしたし、PVが何かも知りませんでしたし、「TOP30」とかそういうあれこれも全部知りませんでした。(知らないというのは、教えてもらっていない、という意味ではなく、私が全く無関心だったというだけの話です。どうもスミマセン。)
それを思うと、1年経過して、「昭和」とあだ名もいただいて、新参者としては、まあまあ馴染めたのではないか、とほっと胸をなでおろしております。
ようやく「7」祭りに参加してみれば、あちこちで「うりうり」されている方がいらっしゃって、「ああ、いいな。私も”うりうり”されたい」と羨ましい気持ちで眺めています。 しょうがないので、自分で言っておきます。
”うりうり” (そもそも、”うりうり”が何かもわからずに使ってますけれど)
ところで、本題です。
昨日(6/14木)、聖路加国際病院・日野原重明先生の講演を聞きました。毎週木曜に通っている上智大学・グリーフケア研究所の「グリーフケア講座」6コマ目の講師でした。
100歳になった日野原先生は、杖もつかずにお歩きになり、檀上に上がれば、90分立ったまま、元気な様子でお話してくださいました。今でも世界中を飛び回っていらっしゃるそうで、すごいことです。(この10月には101歳を迎えられます)
昨日の講演のタイトルは、「死んでいく人が家族のグリーフケアにどう参与できるか」でした。ちょっと「ん?」と思うタイトルです。「家族を亡くし、グリーフ(悲嘆)に暮れる人をどうケアするか、がグリーフケアのテーマなのに、その亡くなる家族自身が残される家族のグリーフケアに関わるか」ということだからです。
色々なお話があった中でこう結論づけられました。
「どのような死に方をするかで、残された家族のグリーフは変わってくる。死ぬ際、周囲の、残る人を悲しませないよう死んでいく、グリーフケアをしながら死んでいく。そのためには、自分が持っている”時間”をできるだけ人のために使いましょう」
・・・残された人が後悔にさいなまれたり、罪悪感を持ち続けたりしないよう、死にゆく時に周囲の人に和らぎを与えることができたらいいし、そういう死に方をすることもできるのだ、といったことをお話されていました。
(前段では、多くの事例を紹介なさった上のことです)
ところで、昨日のお話の中で、とても印象深かったことがあります。それは、「いのち」とは何か?です。
日野原先生は、今でも10日に一度小学生を集めて「いのちの授業」を開催しているそうです。10歳くらの子供たちに「いのちってなんだと思う?」と問いかけると、必ず心臓に手を当てるといいます。先生は、「それは違います」とおっしゃいました。
「心臓は”いのち”ではありません。心臓は単なるポンプです。”いのち”は目に見えないものです。確かにあるものだけれど、でも、目には見えない」
「では、”いのち”とは何か。”いのち”とは、私たちが持っている時間の証なのです。」
「人が望むことはなんでしょう。平和です。平和というのは、”人が与えられたいのち(=時間)を壊されてしまわないこと”です」
「人間は限られた”いのち”を持つ生きものです。」
「人のために使った時間と自分のために使った時間のバランスはどうなっていますか? 人のために使っていますか?」
「あなたが持っている”時間”(=”いのち”をできるだけ人のために使いましょう」
・・・・
「いのち」とは「時間」なのか。そうか、それはとてもしっくりくる。
たとえば、人を殺してはいけないのは、「他人の時間を奪うこと」だからですね。「あれもこれもできたはずの時間を奪うこと」だから、他者を殺めてはいけない。
人が亡くなるというのは、原因がなんであれ、「その人に与えられていたはずの”時間”が無くなってしまうこと」。それが悲しい。
そうか。
「時間を無駄にする」というのは、言い換えれば「いのちを無駄にしている」ということに他ならないのかも。
世に「時間管理」の本やセミナーはたくさんありますが、「いのち」という観点で説いたものは見たことがありません。ビジネススキルの一環として、「効率よく作業する」「できるだけ生産性を上げる」「短い時間で最大の成果を上げる」という方向での「時間管理」術ならたくさん見かけます。
でも、「いのち」は「時間」なのだ、と言われたら、
「時間を無駄にすること」というのは、「あなたに与えらえた”いのち”を無為にしてしまっていることだよ」と言われたら、ドキッとします。
「時間管理」は言い換えれば、「いのちの管理」なのかも知れません。
「いのちとは時間のことなんです」
考えたことがなかったので、なるほどぉ~と深くうなずいてしまいました。
ユーモアもたっぷりで時々何百人の受講からどっと笑いが起こるような、しみじみした講義でした。いつまでもお元気で。
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日野原先生100歳、現役。 今でも多くの活動をなさっています。医療だけでなく、作曲もするし、子供ための教育もする。本も書く。外国でハンドベルのイベントに参加する。などなど。
ワタシがその年齢になるまでまだ51年もあります。びっくりしました。
そろそろ定年が視野に入ってきたなぁ、あと10年ちょっとか、と思っていたのに、まだ50年。半世紀。
それを思ったら、もっとしゃんとしなければ、と背筋が伸びました。