「無理です、ダメです、できません」+「仕様です」で済ませないように・・・(追記あり)
わが「心の師匠」の一人に元SEの方がいらっしゃって、今、50代半ばの彼が20代のばりばりSEだったころの話。
お客様との打ち合わせで、「こういうことしたいんだけど」と言われると、つい「あ、それ、無理です」と反応し、「こんなことはできるのかな?」と言われれば、「ああ、ダメですねぇ」と答えてしまったのだそうです。
しばらくは辛抱強く相手をしてくださっていたお客様が、とうとうキレて、
「私たちは、コンピュータに関しては素人だ。だから、技術的にできるかどうかなんかわからない。でも、”したい”ことはある。あなたたちSEは、私たちが”したい”ことをどう実現するかを考えるのが仕事ではないのか。”こうすればできる”とか”こういう風に条件を変更できませんか?”とか言ってくれれば、こちらも考える。どういう風に問題解決をするか、共に考えてほしいと思って、こうやって話をしているのだ。
だから、二度と”できない”と言うなっ!」
こんな風に怒鳴られたのだそうです。
20代若手SEの彼は、これで「はっ」と目が覚めて、以来、「無理です、ダメです、できません」という言葉を口にしないように気を付けたと言います。
お客様に教えられた、と。
なぜ「無理です、ダメです、できません」と言ってしまったか、というと、「エンジニア視点で物事を見てしまったこと」に加え、「面倒なことが自分に降りかからないように、という防衛本能が勝手に動いてしまうこと」が原因だった、と話してくれた記憶があります。
(この話を聞いたのがすでに20年くらい前の話なので、記憶は断片的なのですが)
SEに限らず、相手に何か言われた時、「ああ、無理」「駄目」「できません」と反応してしまうことはあると思います。上司に何か言われた時とか。
「こうならできます」と提案するより、まず拒絶してしまう・・・(本能的に)。
でも、相手の立場になれば、「無理、ダメ、できない」と言われたら、困惑するわけですね。自分が言われたら、やはり、嫌だもの。
これ以外に、「仕様です」。これも案外言ってしまうかも。
「それは仕様です」。
「そんなこと聴いているんじゃないんだけどー」と。
「仕様なのはわかるんだけど、なぜそういう仕様になっているのか」とか「変えられるのか」とか「変更するとどうなるのか」とか、はたまた、「なぜ、その部分が気になったのか」といったことをもう少し聴いてくれればいいのに、と思うのですね。
ITエンジニアの方が大勢集まる講演や研修で、「ユーザ企業の方が嫌がることがは、”無理です、ダメです、できません”と”仕様です”なんですよ」とお話すると、会場からどよめきのような笑い声が上がります。
皆さん、心当たりがあるようです。
*** 以下、追記(2012年1月25日 9:30) ***
誤解を招くといけないので、追記しておきます。
この話は、「何が何でもやれ」「どんな無理難題でも聞くべし」ということではなく、「与えられた制約条件にとらわれすぎてはいないか?」という、顧客からの問いかけだったと理解しています。
「こういう風にしたいんだけど」
「無理です」
と即答してしまう時、頭に去来するのは、「だって、3末納期でしょう? 100万円でしょう? 僕がやるんでしょう?」とその時に与えられた条件に縛られて思考してしまっていないか? お客さん側だって「5末であればなんとか」とか「予算追加できますか?」・・あるいは、「こういうことを御社側でしていただけたら、実現するかも」とか、そういう代替案というか、「答えを見つけ出そうと共に考えてくれる姿勢」を求めているのだろう、と。
ただただ無条件に「無理難題」を聞くことで心身を壊してしまうというのはあってはならないことだと思います。
****追記、ここまで****
=========ところで==========
この話もモチーフにしたコラムを書きました。勤務先で「月1回」更新されるWeb連載です。
よければ、こちらも合わせてご覧くださいませ。「ネタ」は一部同じですが、料理の仕方を変えています。
「できない」などと即答するのではなく、「答えがないか一緒に探そうとしてくれる姿勢」が大事なのではないか。最終的には「できません」が回答だとしても「寄り添ってくれたこと」で納得されることもあるだろう・・・と。だから、まずは、「何が気になるのか」「どうしたいのか」をちゃんと聴いて、会話するプロセスも重要だというようなことを書きました。(←以下のコラムの主旨です)
「わくわくヒューマンスキル 第76回 一緒に応えを見つけ出そうという姿勢が大事」