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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「原因」と「対処法」に言及したくてたまらなくなる症候群

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常々思っていることなのですが、誰かが病気になったりすると、「お大事に」とか「辛いでしょうね」とか「お加減は?」など心配の言葉をかけると同時に、あるいは、そういう言葉をかけるより先に、

●「風邪ではなく、ノロではないですか?」
●「風邪だと侮っていると、もっとひどい病気の場合もありますけど、その可能性はありませんか?」

といった原因追究と

●「病院には行ったのですか?」
●「水を飲むより、○○を××して摂取したほうがよいですよ」

といった対処法アドバイス、というのが、どうしてもしたくなる・・・ようです、人は。


相談されてはいないし、信頼できる主治医の診察と処方を受けているというのに、それでも、「もしや○○では?」「××は検討したのか?」と言及したい、せざるを得ない。

これって、何でしょう?

いや、人を責めているのではなく、自分もついやっちゃうんです。

誰かが具合悪いと聞くと、「それって、○○じゃないの?」と。自分が言われると、「あ゛ー、メンドクサイ」と思うのに。「××はしたの?」とアドバイスされると、「それ、もうやったし」「医師にダメ、って禁止されているし」と思うのに。

立場が逆になると、つい、つい、つい、言ってしまう。

病気の例を挙げましたけれど、他の「困難」でも同じです。

以前、知り合いが「大切なお財布を無くした」とこぼしていたことがありました。慰めるくらいしかしようがない、「早く見つかるといいね」「出てくるといいね」と励ますくらいしかしようがないのに、なぜか、口をついて出たのは、

「どこに置いておいたの?すぐ気づかなかったの?」という、不毛な質問。

口に出してから、「あっ!」と思わず、自分で自分に「駄目出し」しました。

そんな質問は、そんな言葉は、きっともう100万回も誰かに言われただろう。人に言われなくても自問自答しまくっただろう。

「すぐ気づかなかったから見つからないわけ」で、「その辺に置いてしまったからなくしたわけ」で、そんなこと、いまさら私がただしてどうだというのか? 

『ごめん…余計なこと言って』・・・「見つかるといいね」・・・「辛いね」「悔しいね」・・・共感と慰めくらいしか言いようがないのに。

原因だけではありません。

「警察には届けたの?」「駅事務室には?」などと、これまたきっと100万回言われたであろうこと、自分だってそのくらいのことは考えたであろうことをつい言ってしまう。


原因を追究する、
対処法をアドバイスする。

相手にとって、「余計なお世話」「大きなお世話」であることが多いのではないだろうか?

「原因」や「対処法」を言っていいのは、「ねえ、どう思う?」「どうしたらいい?」と相談された時だけではないか。

・・・

「ちょっと聞いてよ!」「話、聞いてもらってもいいですか?」という場合、単に聞くだけ、共感するだけでいいのではないだろか。

原因も対処法も、相手は求めていないのであれば、言う必要ないんじゃないか。

そう思うようになり、自分がつい「原因は?」「対処法としては・・・」と言いそうになったら、すぐ自分にストップをかけるのでした。

原因や対処法は、自分がすっきりしたいために言っている部分が少なからずあるような気がします。原因がわからないのはなんだか落ち着かない。自分が知っている(思いつく)対処法を試してくれないと、なんとなくお尻がむずむずする、そういう面、ないとは言えないと思うのです。(私は)

だから、言葉を飲み込む。自分がすっきりするために言葉を発するのは、時に相手を傷つけるから。
聴いて欲しいだけの相手には、ただただ耳を傾けるだけでよいのだろうと思うから。

これ、あくまでも、私の場合です。

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