人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

あれから1年。山本小鉄さんとの思い出。

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山本小鉄さんが亡くなって今日で1年。昨年2010828日、突然この世を去ってしまった小鉄さん。

 プロレスラーとして昭和のプロレス黄金時代を支え、その後レフリーや解説者として活躍され、最後の最後まで道場で若手指導に心を砕いていた小鉄さん。プロレス好きな方にとっては「神様」のような存在だそうだけれど、私にとっては、机を並べて学ぶクラスメイトだった。

 上智大学コミュニティカレッジ(いわゆる社会人向け公開講座)の教室に小鉄さんが現れたのは、たしか2008年春のこと。 私の右斜め後ろにどしっと座っている巨漢に、少し心臓がどきどきしたことを覚えている。 どういう方だろう? 何をなさっている方だろう?

 あとで分かったことなのだけれど、他のクラスメイトも「怖そうだ」「どういうプロフィールの方だろう?」と思っていた一方、一部、すぐに「小鉄さんではないか?」と気づいた人もいたらしい。とはいえ、「大学の教室でともに学ぶ」という時、こちらから「小鉄さんですか?」と尋ねるのも変だし、だから、それぞれが心に「???」を抱えながら数か月が過ぎた。

 ある日、クラス全員で呑みに行き、その席であらめて、「プロレスラーの山本小鉄さん」だということが判明した。

 65歳を過ぎ、奥様(上智大学ご卒業)に勧められ、大学に通うことにした。中卒のボクが大学に通う、と思ったら、もう、前日は全然眠れなくて。鉛筆とかノートとかそろえて、授業を想像したら、わくわくして」・・と、受講のきっかけを話してくださった。

 以来、みんなで仲良しになった。授業はずっと一緒だったし、時々はご飯食べに行ったり、呑みに行ったり。

 小鉄さんは、とても謙虚で礼儀正しい方だった。いつも周囲の話をよく聞き、時にプロレス界のことを面白おかしく話してくださった(ジャイアント馬場さんとハワイに行った話。ヤマハブラザースとしてアメリカ遠征中の武勇伝など)。小鉄さんのお話はたくさんあって、どれもこれも思い出深いのだけれど、「若手の教育」や「プロ」についての考えは印象的だった。

「若いレスラーに、“プロレスラーである前に社会人なんだ。ちゃんと敬語とかマナーとかしっかり学べ”と言って、敬語の本を与えたんですよ。そうしたら、若いのが僕のところにやってきて、“小鉄さん、表紙が読めません”って言ってきて。“敬語”って読めないなんていいやがって。だから、“ばかやろ、これは敬語って読むんだ”って言ったことがあるんですよ(笑)」

 「お客さんは、会場にお金を払ってやってきてくださる。だから、全力の試合を見せなければならない。楽しんで帰ってもらえるよう、真剣にやらなければならない。全力で真剣に試合できるようにするためには、身体を作っておかなければならない。だから、練習練習なんですよ」

 こういう、プロレスの話だけではなく、私たちは、自分たちの仕事や人生の悩みも相談し、小鉄さんからステキな言葉をたくさん受け取っていた。あるクラスメイトは、「今の会社を辞めようか迷っている。勉強したいここともあるし」と言ったら、小鉄さんは、「やりたいことがあるなら、やったほうがいい。仕事なんて、きっと見つかるから」と背中を押してくださったのだという。これは、お通夜の席で耳にした話。

 人一倍、身体のケアをなさっていた小鉄さん。「ボクは風邪も4回しか引いたこともないし、自分の身体をよく理解して、管理しているから、元気なんです。」いつも、そうおっしゃっていた。

 お通夜の席で横に座っていらした新日本プロレスの中西学さんは、「今でも毎日のように道場に来ていましたからねぇ。」としみじみおっしゃっていた。本当にお元気だったのだ。

 プロレス界では、若いレスラーなど同席すら許されないというほどのスゴイ存在だと御聞きしたけれど、私など、呑んでいる最中、小鉄さんの、とても太くて固い腕を触ってみたりしていた。(そしたら、小鉄さんは照れていた。スミマセン!)ホントに立派な身体をなさっていた。

 あまりに突然の、あまりに悲しい別れから1年。

 この1年、大学のクラスメイトとは何度も何度も小鉄さんのことを語りあった。思い出のTシャツも作った。小鉄さんの好きな言葉「努力」を直筆のサインから印刷してもらって。小鉄さんサイズも作り、奥様にプレゼントした。

 今、私たちは、小鉄さんの奥様ととても仲良しだ。以前からクラスメイトとの会食に参加されていたのだけれど、小鉄さんが亡くなってから、奥様が同じ授業を取るようになったからだ。奥様は、授業に参加し始める際、こうおっしゃった。

 「主人といつか同じクラスをとろうと言っていたのですが、かなわぬことになりました。でも、主人があれほど毎週楽しみにしていたこの授業を私が受講したいと思います。」

10月からまた秋の講座が始まる。大学の教室なので、席は自由なのだけれど、小鉄さんがいつも座っていた席は、今でも空いたままだ。私の右斜め後ろ。

 小鉄さん。あれから1年経ちました。私たちはあなたのことを今でもよく語り合っています。誰もが「小鉄さんにこういう言葉をいただいた」「小鉄さんがこんな風に話してくださった」とたくさんの思い出を持ち続けているのです。 

 もっともっとたくさんのことを教えていただきたかったけれど・・・。またいつか、あちらでお会いできたら、みんなでわいわいと語り合いましょう。小鉄さんが大好きなビールを飲みながら。

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小鉄さんとの思い出をぎっしり詰めた追悼文を拙著「コミュニケーションのびっくり箱」に収めました。50編の最後のエッセイ(タイトル「また逢う日まで」)として。電子書籍のため、奥様に本としてプレゼントできず、プリントしたその一文をお渡ししたら、とても喜んでくださいました。

プロレスラーとしての小鉄さんではなく、一人の大人の男性としての小鉄さんを私たちは知っています。とても素敵な男性なのです。 ザンネンながら、この電子書籍はあまり売れていないのですが、どこにも書かれていない小鉄さんのステキな思い出を記しましたので、プロレスファンの方などの目に留まってくれたらいいなあ、と思っています。(50編の内、最後の1編、ボーナスコンテンツとして新規に書き下ろしたのが、追悼文です。)

 

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