Facebookは巨大ブランドの憂鬱を解消できるか?
Facebookが、自社サービスの若者離れを告白したらしい。
Facebookがクールだったのは、大学生、それもアイビーリーグやスタンフォードなどの有名校を中心にサービスを広げたからであり、それ以外の利用者の入会を認めないという排他性があったからだ。排他性とは、厳しければ厳しいほど、メンバー同士のロイヤルティも高まるし、部外者からの羨望も集まる。排他性とはブランドを維持する最大のDNAだ。
事業規模を追いだすと、誰もがブランド拡張や分裂の誘惑に駆られてしまいがちだが、ありとあらゆる世代や性別の差を超えるサービスや製品を作ることは非常に難しい。たいていはオトナ向けに作ったサービスはコドモには向かない。考えれば当たり前の話なのに、どうしても老若男女に最適化すると思ってしまう。
例えば、Red Bull やモンスターエナジーのようなエナジードリンクと、リポビタンDなどの健康ドリンクの成分はほとんど同じだが、名称が違うのと、缶と瓶という入れ物の違いで若者向けと大人向けに明確に分かれてしまう。エナジードリンクは絶好調だが健康ドリンクの市場は横ばいだ。
(健康ドリンクは医薬品という分類に入ることも不利に働くが)
サービスは絞りこまなければならない。絞り込む、フォーカスを効かすことでしかブランドは作れない。Facebookでさえも、排他性を失った代償を受け入れねばならないわけだ。Appleも同じで、廉価版を作ればハイブランドではなくなり、Androidでもいいか、という気分をファンにも与えて忠誠心を薄めてしまうだろう。
排他性を失わず、フォーカスをぼやかせないためには、いたずらに規模を追うことをやめるか、異なる市場への参入には従来ブランドと全く違う名称とトンマナを与えて、従来ブランドとの関連性を表に見せないことしかない。富士フィルムは自社の化粧品ブランドであるアスタリフトに巨額の広告予算を投じて、強引にブランド認知をはかっているが、本来であれば別会社にするかして富士フィルムの社名を広告から外してさえいれば、もっとコストパフォーマンスは良いはずなのだ。
j自社ブランドへの過度な期待を捨てて、冷静にブランディング戦略を見つめ直す時期にFacebookはきている。