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CMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)が今こそ必要な時代

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思うに、日本にCMO(チーフ・マーケティングオフィサー)という職制に対する理解がなく、広告・広報・営業がなんの水平的な連携がなく、分断されていることは、かなり深刻な問題点であろう。マーケティングとはこれら三つの連携則であり戦略だというのに、である。いや、もっといえば商品開発もまたマーケティングとの連携が必要だし、人材登用や募集にもマーケティングの観点が必要だ。

少なくとも営利企業において、全ての経営にはマーケティング的視点が必要だ。
もっといえば、経営者とは財務諸表を読めるマーケターでなくてはならない。

ビル・ゲイツはさらにプログラムが書けるマーケターであり、スティーブ・ジョブズはさらにデザインセンスが卓抜なマーケターだ。
Googleの経営者達はインターネット全体のサイズを理解しているマーケターであり、Twitterの経営者達はコミュニケーションを理解しているマーケターだ。


■ 昨今のマーケティング定義に欠けているのは「企業活動は同業他社との競合に密接にリンクする」という認識

Wikipediaによれば、『マーケティングとは、企業や非営利組織が行うあらゆる活動のうち、「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその商品を効果的に得られるようにする活動」の全てを表す概念である』。

マーケティングの古典的な教科書といえるフィリップ・コトラーの著書によれば『マーケティングとは、製品と価値を生み出して他者と交換することによって、個人や団体が必要なものや欲しいものを手に入れるために利用する社会上・経営上のプロセスである』。

日本マーケティング協会によれば『マーケティングとは、企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である』とある。


いいだろう。これらの定義には何の異論もない。
それどころか、日本マーケティング協会の定義は(1990年策定と、一番新しいだけあって)注目に値する一文が付け加えれられている。それは、’公正な競争を通じて’、という部分だ。



■ マーケティングとは利害衝突する競合相手に勝つための企業戦略である

そう、マーケティングを行う上で、もっとも重要な観点は、競争に勝つ、という要素だ。

言い換えれば、競合相手を研究し、強みと弱みを理解し、どうやったら相手の商品ではなく、自社の商品をお客様に買っていただけるかを必死に考えたうえで企画立案する戦略と戦術、それがマーケティングなのだ。

孫子の「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」という意味は、競合相手を研究し抜き、自社のことを知り抜いた上で戦えば必ず勝つという意味である。昨今のマーケティング論議に足りていないのは、この競合相手と自分たちを冷徹に比較分析してから戦略を立てなければならないという基本的な認識が欠如しているからだ。

つまり、マーケティングによってセールス活動を敢えて行わなくても顧客に選ばれるようになれば、それがベストだ。孫子が言う、「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」とは、このことだ。

■市場創造/顧客創造はマーケティングの重要作戦だが全てではない

新しい市場を創造することこそマーケティングだ、という言い方をする人がいる。間違っていない。拙書『ソーシャルメディアマーケティング』(特に第六章の「革命戦」をご参照ください)においても、率先して新規市場を開拓することの重要性を繰り返し論じている。
しかし、新しい市場の創造もしくは敵の少ない市場=ブルーオーシャンであっても、そこが大きく成長する市場であれば必ず競合相手は参入してくる。そのときに攻め手の戦い方を「直接対決戦」、先行して市場を作った受け手の戦い方を「防衛戦」として我々は論じている。

・Appleは最初個人向けパソコン市場を抑えていたが、後にIBMが挑戦してきたことでシェアを削りとられた。
・ネットスケープナビゲーターはブラウザ市場の90%を抑えたが、後に挑戦してきたマイクロソフトに敗れた。
・コカ・コーラはコーラ市場を創造したが、現在ではペプシとの猛烈な戦いを繰り広げている。
・液晶テレビは日本が市場創造したが、いまや世界のトップシェアは韓国製だ。
・自動車はフォードが作ったが、今のトップシェアはVWとトヨタだ。

そう、市場創造して、その市場の素晴らしさを証明したあとは、常に強力な挑戦者の台頭に備えなくてはならない。
先行者利益は存在し、最初に市場を創造した企業は常に有利だが、優れた「防衛戦」的なマーケティングを行わなければ、市場シェアを維持することはできない。


■ マーケティングの本質は企業間戦争である。本質は不変だ

企業の本質は営利追求である。
「企業(きぎょう)とは、営利を目的として一定の計画に従って経済活動を行う経済主体(経済単位)である」(Wikipedia)からだ。

もちろん、営利追求のあまりに、公害を生んだり、消費者を騙してはいけない。また、経営者が労働者から搾取してもいけない。
企業が「儲ける」という目標を追求するという本質はなんら変わりないが、その方法やマナーやルールはどんどん変わってきているからだ。
いまでは社会福祉や環境保護などに配慮しない企業は市場から追い出される。しかし、それは、そのことが企業の目的になったわけではなく、営利追求をするうえでのマナーやルールの一つになっているからだ。つまり、企業の本質は変わっていない。そこをはき違えてはダメだ。


同様に、マーケティングの本質も変わらない。市場を争って利害衝突する企業たちが、勝ち残るための戦略と戦術だ。
企業が営利追求をする上で競合他社に勝たなければならない以上、マーケティングとは経営の最重要事項になる。

変わったのはマナーとルールだ。
消費者と対話することが重要なのは、そうしなければ市場から退場させられるからだ。
消費者に愛されなければならないのは、そうしなければ(より消費者に愛されている)競合他社に負けるからだ。

今日、大国が利害衝突するからと言って安易に出兵できないのは、国際社会におけるマナーとルールが、そんな横暴を許さなくなったからだ。大義名分を満たさない限り、世界最強の軍事国家である米国であっても、外国を簡単に攻めたりすることができない。そういう時代だ。そのかわり、さまざまな外交手段を使って、自国の利益最大化を図っている。
同じように、マイクロソフトやGoogleであって、市場を独占することは許されない。それは独占禁止法があるからだ。

つまり、企業が競合相手と市場を争って戦っている事実は変わらず、マーケティングの本質がそのための戦略と戦術であり、企画立案には常に誰に勝ちたいのかという視点が必要だということは、100年後も変わらない。
しかし、そのための戦い方や、マナーやルール、そして武器は変わる。それだけのことだ。


企業は営利追求をする。そのための企業活動全般を支えるのがマーケティングだ。
その観点をふまえた上で論議しない限り、マーケティングは単なる広告やキャンペーン、あるいは市場調査などの断片的な要素でしか語られることがないだろう。

そうあってはならない。なぜなら、マーケティングこそが企業活動そのものを支えているからである。

やはり日本の企業にはCMOが必要だ。僕はそう考えている。









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