ケータイメールとTwitterの類似と、シンプルかつライトなコミュニケーションツールの可能性
■ ケータイのメールにタイトル欄は不要??
僕はかなりタイピングが速い方だと思う。正確に言うと、文章をつむぎだす速度が速いので、結果としてタイプする速度も速くなる。だからお手本をみながら、書いてある文字を転記するような作業が速いわけではないので、ワープロ検定で認定されるようなものではない。
また、実はケータイの10キーでのタイプも、ケータイメール世代ではないオトナにしては速い方だと思う。さすがに卒論や小説をケータイで書く昨今の若者のマネはできないが、絵文字入りのメールをさくさく書くなど朝飯前だ(笑)。
ところでケータイのメールを多用すると分かるのが、ほとんどの利用者がメールのSubjectを書かないということだ。十代〜二十代であれば当たり前の習慣だろうが、ネット黎明期からこの業界にいる者からすると、ちょっと許せないところだろうと思う。これはケータイのメールがポケベル(Pager)から進化したことによる名残なのだろうか。
気がついたら僕も、とっくにタイトルを書かなくなっている。メールの交換が続けば、Re:Re:Re:・・・と限りなく続くことになるがもはや気にもならない・・・。
■ ケータイメールの文化はTwitter的? 芸能人ブログはケータイ的?
考えてみれば、eメールがビジネスにおいてもデファクトのコミュニケーションツールになって以来、タイトルの書き方や、文章の組み立て方、署名(Signature)の行数(*)など、さまざまなルールやマナー、あるいはエチケットが取りざたされていた。
(*)メールの署名は、昔はネットの帯域を不要に消費しないために、4行まで、というのが
ルールだった。
(メールの横幅は76文字、というのがマナーでもあった(^^))いまや、コンプライ
アンス上の観点から、送信先を間違えた場合の注意書きなど、メール本文より長い
署名も少なくない(笑)
ケータイのメールにはこのようなビジネス的な文化ではなく、より簡単に手早く、さらに分かりやすくコミュニケートすることを目的とした手法が好まれた。欧米におけるSMSにも顔文字はあるが、日本ではさらに絵文字へと発展した。長いタイトルを書いても横幅が狭いケータイの画面ではほとんど見えないし、結局ほとんどは友人・知人からのメールであるから、とにかく開く。それに、たいていは「元気?」とか「ご飯食べよう」のような短信が多いから、そもそもタイトルにそれを書けば事足りてしまうほど短い。だからタイトルには何も書かず本文にそれを書く。
こうしてみると、ケータイのメールの交信は、非常にTwitter的であるといえるだろう。
Twitterもケータイメールも、短信の連続であり、タイトルを書かない。Twitterにはそもそもタイトルを書く欄がない。
Twitterがタイトル欄をおかず、書ける文章量も140文字に制限したことが、彼らの成功を引き出したと僕は思う。Blogも本来は簡単かつ簡潔なエントリーの連続で良かったはずが、普及するにつれて複雑化した。自由に書けることやさまざまな機能追加が、返って”Blog疲れ”を引き出してしまった。Twitterはさまざまな制限をつけることで、逆に気軽に書き込める自由を担保したといえるだろう。
ケータイもまた、企業内とは違って、どんなメールの書き方をしようが誰も文句は言わなかった。うるさいマナーをいうオトナはそこにはいなかった。こうして、狭くて不自由な環境の中で、かえって自由に発展したのがケータイメールなのである。
(芸能人ブログは、ケータイ文化を色濃く引きずっていると思う。Blog黎明期から続いているアルファブロガー的世界とは全くの別物である)
■ 気軽でユルいコミュニケーション手段の確保を
PCにおけるeメールとケータイメールは、やはり全く別のコミュニケーションツールであることは間違いがない。大学生であってもPCのメールを持っていないケースも多々見られる。PCはWebブラウジング、メールはケータイで、という分業が彼らの中では成立している。
PCからメールに入った僕たちとは、感覚が明らかに違うのだが、その彼らでさえ、卒業して企業に入ればケータイメールとは異なるPCのメールのマナーに馴染まなくてはならない。
ただ、気をつけなくてはならないのは、学生時代にはあった気軽なコミュニケーションが、本来はよりいっそう情報共有をしなくてはならない企業内では、なかなかに進まないという事実についてだ。企業内のコラボレーションやコミュニケーションの円滑化については、グループウェアを始め、SNSやBlogなどの"Web2.0"的ツールの導入も検討されることが多いが、結局あまり進んでいない現状なのである。
思うに、ケータイとPCの融合、つまりスマートフォンの導入(つまり、いつでもどこでもメールによる交信ができる)と、ケータイメールやTwitterに見られる気軽なコミュニケーションを取り合える、一定の制限を設けられた空間が必要になっているのではないか。
社内SNSを導入した企業は多いが、なかなかうまくいっていない場合が多い。そこで、SNSを業務寄りにして、日報などのシステムと同化しようとする、一種の保守化政策をとろうとする声もよく聞く。
しかし、それは違う。
複雑で、業務的なコミュニケーションツールやシステムは、ほとんどの会社に既にある。必要なのは、何でも書いてもいい、ただし短く、というユルさとシンプルさを失わない新しい環境を与えることだ。
もちろんそれだけでは不十分であり、別の要素もまた必要だがそれはここでは書かない、製品やサービスの形で示したいからだ。それでも、全社の隅々まで通る、薄い水膜のような軽いコミュニケーションベッドをまず置くことによって、情報を円滑に流せる文化を生み出すこと。それが先決である。