プライドが鼻につく人、つかない人
おはようございます。
実は少しずつ日の出が早くなってきています。
すでに地球は春に向かっています。
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「プライドとは何なのだろう」
そう考えると複雑な迷路にはまってしまいます。
「プライドをくすぐる」という言葉があるくらいです。
プライドどおりに出来たこと、それが認められるのは気持ちがいいことなのです。
あるいは、仲間にプライドが持てることも大いなる自己肯定になるので嬉しいのです。
そう。プライドは、人の成長のための一つの原動力だと思うのです。
密かによくアクセスされている昔の記事があります。ご参考までにここにリンクを置きます。
『"I'm proud of you!"っていいほめ言葉だと思いません?』
ところが、ときどき、人のプライドが鼻についてしまうこともあるのが不思議です。
パワハラというか、上から目線というのか。そして昨晩も話題になって考えていました。
ヒントになるキーワードをGalaxy NoteⅡでメモしておいたのですね。今朝はそこから。
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原則として、次のようなときに鼻につくオーラが発信されると思うのです。
自分に与えられた(と思っている)権限を使って、自分を大きく見せようとするとき。
体を大きく見せて威嚇するのは動物の本能ですから誰でも多かれ少なかれやっています。
そう。つまり見栄を張るときです。
人はそれほど盤石な意志を持ち続けるものではないです。
たまには自慢してプライドがくすぐられたいし、くすぐられると満更でもないです。
それなので自分を大きく見せることには抗しがたい魅力があるのです。
ところが不幸なことに、そういうときに、人の鼻につくオーラがでてしまう。
なんだか皮肉なものですね。
一方、「鼻につかないプライド」を持つ傾向の強い人もいます。
成長の原動力として心に秘めたプライドの通りに行動するとでもいうのでしょうか。
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その違いは何なのか。どこにあるのか。
謙虚さ? 腰の低さ? 上から目線ではない?
いろいろと考えたのですが、一番の秘訣は、自分自身に鼻につく場合とそうで無い場合、
基本的にブレがあることが認識できていることだと思いました。
人は強いときもあれば弱いときもある。強い分野もあれば弱い分野もある。
弱さに見栄を張りそうなときには、見栄を張ってしまった時の「鼻につくオーラ」を意識する。
そんな瞬間瞬間の細かい挙動の軌道修正が必要なのでしょう。